ご存知の方も多いかもしれませんが、
ハタユカブログは、今までに合計で3回消えてます。
アメブロで3回、
その他のブログ(FC2)も、なんかしらんけど
意地悪されちゃって笑
2回、消えてます。
で、今のブログは
もう何回目のブログだ?と思う場所なのですが、
おそらくこれが最後の墓場かもしれません。笑
まぁ、そうだろうと、
そうじゃなかろうと、今となってはどっちでもいいのですが、
なににせよ、
あり得ないほどの記事を
5年間も書き続けてきました。
そのうちの約四分の一くらいが、
今こうしてこのブログ記事に残ってます。
—
記事は確かに、もうここにはない。
たくさん書いてきたアレモコレも、
今の倍以上ある文字も、
今はもうなかったりする。
でも、
叩きつけた時間。
溢れた気持ち、そして
届けたいと思った回数。
それは、確かにわたしの中に、残っています。
それらを形にして見れるそのものは消えたにしろ、
わたしの中で、確実にそれらは残ってる。
これだけで、
それだけで、良かったりするんです。
—
なにが良かったりするのか、って言えば、
なんというか。
普段は、理屈的に考えて
過去というものは意味がない、みたいな言い方をすることもあるのですが、
やはり、
どんな過去であれ、
今ここで無事に生きている自分は
何かを越え、
誰かに傷つけられたり傷つけたりして、
たくさんの涙を流し、
たくさん笑い、喜び
その様々な『越えてきたもの』に支えられている。
だから、思うんです。
なにも、保証はいらなくない?
未来になんの保証も正解も、いらなくない?
って。
だって、
いろいろ、やってきたんだもん。
いろいろ、あったんだもん。
こころが、あったんだもん。
今だって、あるんだもん。
それって、すごいことなんだ、と思うのです。
—
話は少し変わりますが
わたしは、高校生の頃からブログをやったりやめたりしてました。
多分、自分の想いを書き出すようになったのは
小学生の頃でした。
小説みたいに自伝を書いたことも、ある。
とにかく、書いてた。
とにかく、自分を残したくて、
おぼろげで、儚くて、
存在をしていると何かが証明してくれるわけじゃないこの世で、
自分
を感じられる何かが欲しかった。
そこから、わたしの
書く
という行為は生まれたのです。
よく、
自分がなにをしたらいいのかわかりません、
という人や
自分のやりたいことがわかりません、という人、
また、自分にはなにも出来ない、
何もしてこなかった、
何も特別なものなんてない、
という人がいます。
でも、
それはないんです。
ほんとうに、ないんです。
でも、
わたしにとって書く、という行為は
自分がやりたくてやってきたことというより、
いつもすぐそばにあったもの、
という感じで。
みていないと、
みつけようとしないと、
それは見つからないほど身近にあるのです。
誰にだって、
想像よりはるか昔から
なんとなくやってきたこと、というのがあります。
それが、書く、という行為かもしれないし、
泣く、ということかもしれないし、
人の目を気にする、ことかもしれないし、
音楽、かもしれない。
才能や天性って、
自分のそばにありすぎて気づかないものです。
そして、やりたいこと、
本当に好きだと思うことって、
どこかで一度は、
大嫌いになっていたり、するんですね。
—
なにも、保証はいらなくない?
未来になんの保証も正解も、いらなくない?
って。
だって、
いろいろ、やってきたんだもん。
いろいろ、あったんだもん。
こころが、あったんだもん。
今だって、あるんだもん。
それって、すごいことなんだ、と思うのです。