「私はヒロイン」
・・・ご感想のような、お手紙のような、
先日のブログをよんで
Cさんが歌詞を送ってくださりました。
そのタイトルでございます。
Cさん、ありがとうございます!
いただいたウタは、わたしだけのお楽しみということですが♪笑
その内容をみて、ふと思ったことがあるので
徒然と書きたいと、おもいます。
—
わたしたちの人生の主人公は、わたしたちそのもの。
そう言われて、そうだそうだ!と思う人も、
そうじゃない人もいるかもしれません。
わたしはどちらかというと、
わたしたちの人生は、実は誰のものでもない、と思っています。
そう、「自分のものですら、ない」と。
これはつまり、
「主人公」はわたしたちではなく、
「わたしたちの人生そのもの」が主人公である、という感覚。
ちょっと抽象的ですが、伝わりますかね?
もちろん、
わたしはヒロイン!
わたしはヒーロー!
わたしは主人公!
と思うことはOKです、何も問題はありません。
ただ、わたしはどこかで
「わたしそのものは、人生のうちの一部であり、
わたしの人生という主人公のために、
私、という意識があっちこっち動き回っている」
という感じがするのです。
「わたしの人生」
というものに操られている人間という感じですかね(笑
—
ですが、それは支配的な何か、ではなく、
わたしたちの人生そのものが、まるで一人の人間かのように、
人格を持ち、個性を持ち、
そして、息をしている、と。
この「わたしの人生」の人格や個性や、
息のする感じとともに生きることを、
「人生の流れに乗る」
というのではないでしょうか。
—
大筋の流れ、コンセプト、伝えたいこと、
というものがその「わたしの人生」という主人公にあったとする。
でも、「わたしの主人公」そのものには、
手も足もなく、ただ、物語があるだけ。
だから、わたしたちが代わりになって体現し、
体感し、味わって、そしてもっと具体的に表現していく。
それが仕事だったり、
恋愛だったり、
家族とのことだったり、
仲間との時間だったり、するわけで。
そう意識してみるとですね、
何か問題がおきたときに
それを「大きな人生の流れの一部」として捉えることができるようになります。
いいこと
わるいこと
問題であること
不安があること
ではなく、
「わたしの人生」という主人公にとって
どんな意味があって、
どんな流れがあるなかで、
この出来事が起こっているのだろう?と考えてみるのです。
—
そうするとね、なんていうか・・・
あやしいかもしれませんが、
「ひとりじゃない」っておもうんです。
そう、
「ひとりじゃない」って。
ひとりで生きているんじゃない、って。
わたしたちは、わたしたちの人生そのものと
一緒になって息をしている、と。
ただ、それは声をかけないと、
意識を向けないと、
そして、共に歩こうとしないと、
すぐに見失ってしまいます。
そして「ひとりぼっち」のような気がしてくるのです。
—
他者とつながるまえに、
人生とつながる。
命がどこで終わるかわからないけれど、
今ここで続いているこの時間とつながること。
それが「いまここに、くつろぐ」という感覚でも、あります。
—
やけに抽象的ですね。
まぁ、これはこれで、良しとしましょう。
そして『わたしの人生』という主人公には、
潜在意識と
はたゆか、
という最高のコンビがいた、と。
最高のパートナーがいた、と。
そういう感じに、思っているんです。
おっし、潜在意識くんよ。
これからまたどんなことを、しでかそうかな?と。
どんなことをしでかして、
主人公を楽しませてやろうか、って。
それが今のわたしの
生きる楽しみかもしれません。