わからない、という感覚はすごく大切だと思っています。
わからない時間をかけたことが
「あ!」とわかったときほど
嬉しいことはありませんよね。
そして、自分の中から答えが生まれるだけではなく、
誰かの言葉や何かにふと触れたときに
突然答えがやってくる、そんなことも多いのではないでしょうか。
だからこそ、
自分の中だけで完結する「わかった」以上に、
誰かと共有出来る「わかった!」の幸福って
とても大きいものだと思うのです。
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今日は、4ヶ月間のELMプログラムという長期講座の
最終日でした。
この講義の特徴は、とにかく「説明しない」ことです。
そして頭での理解の前に
まずは「身体」で感じてもらう。
「心」を動かして、スペースをあけてもらうこと。
だから、やる側は最初
「わからない」という感覚にゆらゆらし、
焦りや不安もでてきます。
ですが、それを出さないことには、
他の気づきが得られるスペースがなく、
また自分の中にそういうスペースがあることにも気づけません。
だからこそ、
「わからない」からスタートする
その入り口をとても大切にしているのです。
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最後の懇親会でも話題になった
わたしのブログに「わかりにくさ」(笑)
そうです、あえて「わからないように」書いていることもたくさんあります。
それはなぜか、というと
その人の中にある様々なプロセスが大切だから。
「わからない時間」というものが、
自分の心を知るのにとても大切な要素だからなんです。
確かにわかりやすくて
速攻で効果が出そうな方法もたくさんあります。
それを伝えることも、
また、それを教えることも可能です。
でも、頭だけでわかったことに
果たして心がどれだけついていくことができるでしょうか。
インスタントなコンビニ食が必要なときもある。
でも、
心の法則、
潜在意識の話って、
そういう即席なものではないことのほうが多いのです。
その人にはその人なりのタイミングがある。
こちらは、即席に効果を感じられるようにするために
あれこれ手をだす必要は、ない。
相手を受け入れ、
見守る、ということが
結果的に、大きな喜びにつながることだって、あるのです。
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わからない、というのは非常にモヤモヤしますが、
わからないからスタートしていることが
それこそが、とても良いポジションにいるんだってこと。
「自分を知りたい」と思うことが
「自分を知っている」よりも
とても大切な時間であるということ。
そういう感じでもあるのです。
焦ったり、
わからない自分を責めてしまうこともあるでしょう。
でも、同時に
「わからない自分」を慈しみ
いとおしむ時間に変えることだって、可能です。
今だってわたしも自分の気持ちがわからなくなることがあります。
そのときは、わからない自分そのものを
じっくり味わう時間にしよう、とするときもありますし、
わからないなりに、わかろうとしている自分に対して
「そんな自分も、いいよなぁ」と思うことも、ある。
インスタントなものを求めている人にとっては
それはあまり好意的な方法ではないでしょう。
もっと今すぐ!
ここでわかる、すっきりする、全てが見える何かが欲しい!
と思っているときほど、
大切なものを忘れかけていたりします。
「わからない」を大切にしてみる。
「わからない」の自分は
何かが欠けているわけではないし、
欠如している存在ではない。
そこからがスタートだし、
それってすばらしい未来につながる
一つの点でしかなく。
その「わからない」の点と点が
いつの日か結ばれたときに。
即席でわかったこと以上に
大きな喜びが得られる、ということを心に留めて。
今日も、明日も、
そんな「わかりにくブログ」を
どうぞ、よろしくお願いしたのでございます。
(笑)