わたしたちは、「変わらない自分」を探し続ける思考と、
「変わりゆく自分」に安堵感を抱くこころとの間で
いつも揺れ動いています。
思考優位で生きているとき、
すべての大前提が「不足・問題」ベースとなり、
簡単に満たされてはいけなくなるのです。
思考優位で生きることがダメなのではなく、
そういう風に生きる「ことしかできない」
と柔軟性を失っていると、
世界のすべてが問題だらけに見えてしまうということなのです。
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思考はどうして「不足・問題」がベースなのでしょう。
「解決」が大好物な思考は、
どれだけの難問を解決することができたかによって
自分の(思考そのものの)価値を測ります。
思考は、こころなんてどうでもいい。
自分の価値を認めてもらうためには、
不足
問題
不平
不満
欠如
が必要となるのです。
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未熟な思考は、
こころと手を取り合って歩むことを知りません。
知らずに分裂して
同じ身体の中で存在しているので
常に葛藤や悩み、引き裂かれるような感覚を覚えるのです。
でも、
こころはそんな思考さえも
やさしく包み込んでくれる力を持っている。
だからといって、思考がそれを好むわけではない、
ということなのです。
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私たちの中には、
思考する自分、と
感じる自分、
と両方いますよね。
だいたいこのふたつ、相性悪いんです。笑
最初のうちは喧嘩ばかりして、
その人の中で綱引きのような、分裂が生まれます。
でも、ひとつの身体を引き裂かれそうになると、
人は耐えられませんよね。
もっと具体的に言えば、こう。
思考する自分・・・あたま
意識する自分・・・からだ
感じる自分・・・こころ
この三位一体な感じがうまく交差して、
バランスよく稼働すると
わたしたちは滞りなく循環し、
起こることすべてを信頼することができるのですが・・・
頭とこころが喧嘩をすると、
間にいる身体が痛みを覚えます。
だから、身体に思考とこころのバランス状態が
自ずと出てしまうんですよね。
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さて、この記事で書きたかったのは
「じゃあ、どうしようか」というところで。
思考をなくせばいい、ってもんでもないし、
こころを優先的にすればいい、ってもんでも
実はないんです。
心理学業界では
何かと「こころを大切に」といいます。
何かがあればすぐに「こころを感じて」と言いますが、
(もちろん、わたしも言ってしまうのですが・・・苦笑)
本当は
思考する自分・・・あたま
意識する自分・・・からだ
感じる自分・・・こころ
このバランスだと最近思えてきました。
思考する自分・・・あたま
意識する自分・・・からだ
感じる自分・・・こころ
の三分野が、均等な筋力を持ち、
適切に動いている。
こころの筋肉が足りなくて使えないと、
思考や身体に負荷がかかる。
だから、
思考が働きすぎているのではなく、
実はこころが使えていない、ってことのほうが多いのです。
「わたしは、思考がうるさい」
という人にかぎって、
こころの筋肉が、ぜんぜん、ない。(または、動いていない)
思考とこころが使えていないと、
身体にも影響がきます。
そうやってわたしたちは、うまくできているんですよね。
思考する自分・・・あたま
意識する自分・・・からだ
感じる自分・・・こころ
この三つを整えていくためには、
それぞれの筋肉量みたいなのが、どれくらいなのか?
知っておくといいかなと思っていて。
使えていない弱い筋肉を鍛える必要があるので、
1日の中に
「思考」に気づく時間、
「こころ」に気づく時間、
そして
「からだ」に気づく時間、
がどれだけあるか。
その比率はどうであるか。
ちょっと意識してみるといいかもしれません。
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ちなみに、なんとなくですがわたしの三位一体 筋肉量(今、命名した。笑)
を数字で表現すると、こうかなー。
思考する自分・・・あたま 50%
意識する自分・・・からだ 10%
感じる自分・・・こころ 40%
「からだ」が全然使えてない!!!!と感じた
7月末。
というわけで、
先月よりパーソナルトレーニングジムに
通うのでありました。
(あー、だから、筋肉筋肉うるさいのね!と
思ってくれていいです。笑)