今日はちょっと抽象的なことを書こうと思います。
難しく読まずに
さーっと読み流してみてください。
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現実、とはわたしたちの「中」にしか存在しません。
外側の世界では、ただ起こることがただ起きているだけで
そこに「個人の解釈」がつかなければ
何一つ「現実」は存在しません。
「わたし」という自意識も
わたしたちの中にあるように思えますが、
実はそんなものはなく、
すべて外側の情報をもとに
「わたし」というものが構成されています。
わたしの家、
わたしの服、
わたしの仕事、
わたしのお金、
わたしの恋人、
わたしの現実・・・
外部からの情報がなくなり、
また、それらを解釈する概念がなくなったときに、
「わたし」も消えて無くなります。
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わたしたちは、そうやって
外部の情報をリンクさせて
脳内でストーリーを作っては壊し、
作っては壊し、を繰り返し、
いかにも「わたし」がやっていることのように思いますが、
実はわたしたちの現実には何も起きておらず、
何かが起きている、という誤作動のような歪みだけが存在します。
この歪みは人間独特のもので、
歪みがなくなったときにすべてが消え、
ある意味すべてがそこから生まれます。
元々はひとつだった、というのもそういうわけです。
あなたとわたしはひとつである、
というのも
「あなた」をもとに「わたし」が生まれ、
「わたし」をもとに「あなた」が生まれている
そのような相乗的な関係にあり、
本来はどちらも違いがないひとつのものとなります。
何も起きていないことに
何かが見える、のはその人ならではの価値観や解釈が
色付けされたあとです。
つまり、すべては「予測」の世界である、ということ。
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このように考えると恐ろしく感じる人もいるでしょうが、
この恐ろしいという感覚さえ
あってないようなもので、
恐ろしいと思いたいなら思えばいいし、
そうではないと思いたいなら、そうではないとすればいいだけの話です。
現実は目の前にあるものをいうのではなく、
自分の内側によって描かれた自分だけのもの。
わたしたちは、自分の中にだけ存在する現実を
常にいきているということになります。
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たとえば
「お金がないわたし」という現実も、
実は存在しません。
確かにわたしにはお金がない、という「解釈」は存在しますが、
そのような現実は存在しません。
そこから抜け出せないとき、
「お金がない」ことによって「わたし」が形成されるように
自分の中で設定しています。
つまり、
「わたし」が成り立つためには
「お金がない」という情報が必要だということです。
恋人がいなくなるのが怖い、というのも同じです。
正確に言えば、
「恋人を失うことがこわい」のではなく、
「恋人がいる」ことで「わたし」を保っていた状態が
なくなってしまうこと、
その解釈がなくなってしまうことがこわいのです。
そのため、
実際はどのような物質を失っても、
どのような現象がおきたとしても、
失うのが最もこわいのは「わたし」そのものであり、
お金や恋人や仕事などではありません。
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たまに、ニッチな講座の中では
「多重人格になること」をおすすめすることがあります。
これはつまり、
つける仮面を増やしましょう、ひとつの「わたしはこうである」という
概念に囚われるのはやめましょう、
ということにもなります。
物質的なものや
何か目に見えなくとも誰かの感情などを失うことがこわい、という幻想は
それらを失うことによって「わたし」が保たれなくなるのが
ただこわいだけです。
でも、本来「わたし」という存在はあってないようなもので、
そんなあってないようなものに固執する必要はないのです。
ただ、楽しむことはできます。
いろいろな人間として、いろいろな人生を楽しむことはできます。
何を思い込んでいるから、どうとか、ではなく、
何を今思い込むことにするのか、
という明確な意識が、それを楽しむことにつながります。
そうすることで、
自分の個人的な意識から、もっと可能性の広い
混沌としつつも自由な状態でいることができます。
何かを思い込むことがダメで、
何かを思い込むことがよいのではありまえん。
こういう風に思い込めばいい、
成功する、大丈夫になる、問題が解決する、
ということもないのです。
どれくらい自分の中にある「わたし」と付き合えるかが
大切なのであって、
今の自分がどのような人間であるかは
そうそう大切なわけではなかったりします。
これに反抗するのは「確固たるわたし」が欲しい自分です。
自分がどのような人間であるかを確定し、
何かが正しい生き方なのかを追求することで問題が生まれ、
そして問題を「解決するわたし」がいることに安堵感を覚えます。
しかし、「わたし」など、あってないようなものなのです。
みんな、透明人間のようなもので、
それをどんな人間に仕立て上げるのか、はわかりません。
もっと気楽にいきましょう。
毎日、思い込みたいように思い込んで生きればいいのです。
毎日、成功法則を変えていったらいいし、
毎日、ねばべきを自分で楽しめばいい。
ただそれだけのことなので、
気楽にいきましょうよ、ってのが
この記事で伝えたかったことです。
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さぁ、書きたいように書きました。
ここから見出す答えや真実に答えはありません。
楽しみたいように、解釈してOKです。