自分の中の「じぶん」と会話する。
時には厳しく叱ったり、
慰めあって肩を抱き合ったりする。
私たちは、「じぶん」と一緒に生きている。
だから、
ダメな時はダメだといい、
違うときは違う、と言うことができる。
私たちの中にある「じぶん」からの声を
「断る」ことも大切だ。
それはまるで子育てのようだな・・・と最近おもう。
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って、わたし、子育てまだしたことないのですが!!!!!笑
私たちの中には、
コントロールできない「じぶん」がいたりします。
というか、
実はコントロールできる自分などいないものですが・・・
それでも、どうしようもない「じぶん」のようなものが
生息していたりするのです。
それをインナーチャイルドと呼ぶこともありますね。
自我と呼ぶことも、あるかもしれません。
インナーチャイルドと自我は
違うもの?と言われたりしますが、
ぶっちゃけ、どうでもいい
です(笑)
ざっくり、私以外の「じぶん」がいる、
としておく方がいいでしょう。
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それを問題視して重く捉えることもできます。
軽く見過ごして、ないふりすることもできます。
また、会話しあって
声をかけあって、一緒に生きていくこともできます。
何を求めますか?
どう付き合いますか?
それぞれ自分の中にいる
「じぶん」と付き合うことが上手になると
とても生きやすくなるのではないか、と思っています。
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例えば、
自分の中の「欲」や「見栄」
これらと戦えば、わたしたちはどちらが正しいのか?
といういわゆる権力争いをするようになります。
自分の中の正当はどちらだ!?
欲は欲の良さを伝えてくる。
でもそうじゃないと思っている別の自分は
それに反抗する・・・。
すべて自分の中でおきていることで、
すべて「じぶんそのもの」でもあるのに、
どうして、戦ってしまうのでしょう。
このときに必要なのが「会話」です。
みなさんは欲と会話することがありますか?
見栄と会話することがありますか?
わたしは、しょっちゅう会話しますよ。
例えばこんな感じ。
欲「もっと認められたいんだろ!?お前!やれよ!やれよ!」
わたし「うん、わかってる。でも、今それ大事?」
欲「・・・・・・。」
という感じ。
見栄に対しても、
見栄「ほれほれ~見栄はりたいだろ~プライドあるだろ?」
わたし「確かに。で、それ今必要?」
見栄「・・・・・・・。」
みたいな(笑
なんというかな・・・
結局ね、見栄とか欲とかって別に消えるわけじゃないんです。
だいたい、それらがさ騒ぐときって、
自分が会話していないときなんですよね。
無視しているから、騒いで
気づいてもらおうとする。
だから、騒いでいる時ほど、
「で、それ今必要なの?」と聞くと、
しょぼぼぼ~んとしてしまいます。
逆に、欲が必要な時はあります。
見栄が大切な時もあり、その時は共同作業で
それぞれが役割を果たせばいい。
こうやって会話してみればいいんです。
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悲劇のヒロインになりたいときもそうです。
自分が被害者でいたいんだな、
って思ったらまずその状態にOK。
素敵なウィンクでもして出迎えてあげます。
「被害者意識ぜんかい!!のわたしなんて
余裕で受け入れられるわ♪」
って余裕かましていたらいいのです。
その上で、
「でさ、今被害者になる必要って、あるかな?」
ってやってみる。
そうすると、だいたいどうでもよくなっていきます(笑)
自分の中のあらゆるものを会話をしてみましょう。
なくてはいけないものは、
生まれません。
すべて、意味と役割と活かしどころがあるのです。
自分との会話。
書き出してみると面白いですよ。