「望んでいないことを、延々と考え続けてしまう」
ということはありませんか?
絶対あるはず!
いや、誰でもあるはずです!!!笑
実際、わたしの中にもよくあります。
今でもよくあります。
その度に、自分が極度のMなんじゃないかと思うくらいです(笑
?
ですが、
この「望んでいないことを想像する」ことに
しっかりと意味があることを知ると
気持ち的に落ち着いてきます。
悪いこと、として象徴されるイメージが顕在化するとき、
必ず潜在意識では別のことが行われているのです。
よくあるケースが、
「悲劇を想像して、先取りで感情を抱いてしまう」
というとき。
このとき大切なのが、
「どんなイメージを持っているか」以上に
「どんな感情を先取りして感じているのか?」です。
?
私の場合、
・憤り
・悲しみ
が大好物のようで、
これは逆に言えば
「普段から自分が抑圧してしまう感情」でもあるということです。
憤り、悲しみ、
という感情に対して抑圧がかかり、
普段の日常の中でそれを感じることが許されないと、
「何か特別なことでこの感情を感じよう」としてしまうので
そのようなイメージが湧いてしまうのです。
潜在意識では
→
抑圧した感情を処置するために、
あえてイメージを作り出してその感情を
感じるようにする
でも、顕在意識(自分が意識できるイメージや思考)は、
→
悲劇のほうにしか注意がいかない。(浮かんでくるイメージにしか意識がいかない)
だから、
気持ち的には焦ってしまったり、
嫌なイメージや思考に囚われてしまうのです。
?
望まないことを延々と考え出し、
そのイメージがついて回るとき。
そこに無駄な抵抗をしたとしても意味がありません。
また、巷で言われる「引き寄せの法則」でいうと
イメージが現実化する、
というなんとも陳腐な表現をしてしまうことで
望まないことを考えてしまう自分に
焦りを抱いてしまうこともあります。
でも、そんなことはありません。
大切なのは顕在化しているイメージのほうではなく、
自分の潜在意識が何をしようとしているのか、です。
だから、現実化しないので
安心してください。笑
?
ただ、その表面的なイメージに力を与えてしまうと、
どんどんそれが潜在意識に伝わり、
現実化してしまう方向に向かいます。
だからこそ大切なのは、
「今、自分はこのイメージを利用して
何か感じないようにしている感情を
吐き出すようにして、体感しているのだ」
と認識すること。
むやみにイメージに力を与えず、
何を想像しているのか、に対して注意を払わず、
感情に意識を向けることが大切なんですね。
?
望まないことばかり考えてしまうとき。
悲劇を求め、
悲劇によって何かを劇的に変えようとする自分がいたりします。
そうでもなければ
その悲劇でも起こらなければ
変わらない何かがある、
と思っているのです。
でも、
変化に悲劇は、必ずしも必要ない。
変化するために、悲劇を経験することは
必須卯条件ではないのです。
そう捉え、
自分が悲劇を想定し、
それをイメージすることで感じる
「今ここ」の感情に焦点をあててみましょう。
私の場合は憤りと悲しみでしたね。
これを普段から、押さえ込んでいることに気づき、
あえて感じてみるようにします。
「わたしは怒っているぞー!」
「わたしは悲しいんでいるぞー!」
と。
そうやって、叫んでみるのもいいかもしれません。
久しぶりのお天気。
朝から青空に向かって、
つい先ほど叫んだわたしがいたのでした。
(という、朝の記事でした)