わたしはまだ人生25年しか生きていませんので
偉そうなことは言えませんが、
(とは言え、偉そうなことばかり書いていますが。)
不安な時間
答えが出ない時間
悩んでいる時間
葛藤する時間
これほど自分を「愛でる時間」ってないなぁ、と思っています。
最近は、悩みがないのではなく
「悩むことに悩まない」という状態であり、
葛藤しながらも
「この時間って、すっごくいいなぁ」と思って終わるので
その時間さえも自分と歩いている、というか
愛でている、というような感じがしていて
なんだか不安なのにとても心地よい、
そんな矛盾した状態を味わっています。
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不安というものは
悪者扱いすればそれらは自分にとっての脅威となり、
自分の命を脅かすものにまで成長していきます。
なかったことまであるように思え、
あったものまでないような気持ちになってくる。
たった一つのシミが、
どんどん大きくなって、全体が嫌になってしまう。
不安というものは
扱い方によっていくらでも変化する
本来は自由自裁なものでもあるのです。
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不安は自分を愛でる時間、と書きましたが
特に大切な人との間のことや
パートナーとのこと。
自分の大好きな仕事のことについて悩むのって
その不安の扱い方や
ポジショニングを変えてあげると
豊かな時間に変わっていきますよね。
その瞬間は辛い、となることがありますが、
それはほとんど
「この不安な状態そのものに対して不安」
という二重不安になっているから。
素直に不安なことを受け入れられた時、
わたしたちにとってそれは愛おしい時間にもなり得る、ということです。
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綺麗事に聞こえるかもしれませんが、
大切なものほど悩みたい、と思う時があります。
大切な人へのプレゼントを考える時みたいに、
その迷っている時間も含めて大切にしたい。
愛でているものだからこそ、
時間をかけてたっぷりエネルギーを注ぎたい、
と思うこともあるわけです。
また、とても気合いが入っているからこそ、
何度も何度もシミュレーションして
いろいろな想像をしてたくさん感じたい、と思います。
だから、その時におのずと悩むのです。
あれこれ考えて、
あーでもない、こーでもない、と思うのです。
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自分に対しても愛でる時間を。
それは不安の中にいてもできることです。
わたしたちはだれもが「自分のことだけ」を考えています。
大切な人を笑顔にしたいのも、
それは「自分が嬉しくなるから」であって、
全て自分のために時間を使っています。
どうせそれなら、
もっと愛でる意識を。
今、わたしは自分を愛でているのだ、と
思ってしまってもいいということです。
不安、という状態に
豊かな息吹を。
吹き込めるのは自分だけ。
ふーっと息をして少し力をぬき、
そこに優しい風を、舞い込ませましょう。