『手放すこと』とは、『自分を知ること』
であり、
『自分を知った』上で求めることとは
『自分を愛すること』でもあります。
(中略)
『ある種の覚悟』とは、
「どんな人生であっても、
何が起こったとしても、
現象によって自分を幸せにするのではなく、
幸せな自分が現象を幸せに変えていく」
そんな覚悟のことです。
別の表現で言えば、
「どんなことが起こっても、
起こった出来事によって自分の幸福は左右されないし、
自分の本質的な価値は左右されない。
何かを手にした者が幸せなのではなく、
幸せな者だけが、手にした何かを良きものに変えていける」
そういう感じなのです。
どんなことがあっても、いいじゃないですか。
その都度、その都度、自分という媒体を通して
忘れていたこと、
なかったことにした自分と仲直りする。
味わい深い、暖かさ、
懐かしい気持ちがその時に蘇っていきます。
ネガティブなものとしてしまいこまれていた感情だって
あなたの中を通ればそれは素晴らしい人生の一部となります。
「あんなことも、こんなことも、あったけれど。
わたし、本当に今があってよかった」と思えるはずです。
誰にだって、辛くて悲しくて思い出したくない記憶ってのがありますよね。
それを自分の中から排除してしまっては
取り戻すまで、他でカバーしなければいけません。
弱った腹筋を、肩や首の力でカバーするように、
自分の感じられない感情をカバーするために、
他の代償行為をしてしまう。
食べたり、怒ったり、自虐行為をすることで
「感じたくない感情」をカバーする。
?
そこから抜け出すためには、
覚悟が必要です。
自分の弱さと強さ、両方を知る覚悟。
人生がどう転んだって、
未完成な自分と未完成な人生のまま
共に過ごすと決める決意。
そして、
何が起ころうとも、
幸せな者として、起きた出来事に自分の人生をゆだねない。
自分の人生の価値、自分の価値、
自分の幸福を、起きた出来事にゆだねない、ということです。
言葉にすると難しいと感じるかもしれません。
私たちが誰もが、「何かによって幸せに」なる生き物ですから。
でも、そこからちょっと、グイって覚悟をしたときに、
「何かによってではなく、幸せな自分が何かを変える」
くらいの勢いになる。
手放すことと求めること、この二つが成り立つためには
この覚悟が必要、ということでした。
?
これは10月5日に配信したメルマガの
一部抜粋。
みなさん、読んでいただけました??
ででで、なんで抜粋したか、というと
わたしずっと決められないことがあったのですが、
決めました!
今度やる10月18日の運動会+記念パーティー@大阪
のミニ講演のテーマはこれ!
『はらのくくり方、覚悟の決め方~試練と幸福の連続、4年の軌跡~』
この4年間、実に濃かったなぁ・・・。
試練(そぎ落とし)と
幸福の連続だったなぁ・・・
数字という客観的なツールがあったおかげで
わたしはここまでやってこれた。
同時に、
「何かを捨てる覚悟」も
自分の数字がわかっていたからこそ、の場面が多くあったり。
わたしは典型的な
「頭」の求める快感
が
「こころ」の求める幸福
とズレているナンバーを持っていましてですね…。
どれだけやっても
なんとなくの幸福感しか得られませんでした。
数字がわかっても、
数秘を理解しても、
それはしばらく続き。
だけど、エネルギーのベクトルが定まっていたことによって
迷走せずにすんだな、とも思います。
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潜在数秘術?に関係がなくても
運動会、記念パーティーにはご参加いただけます!
イメージがやっと降りてきてくれました(泣)
これで最後の詰まりが通った気がする~♪
どうぞ、お楽しみに!