人が変化の時に苦しむ原因は、
「過去に信じたこと」をそのまま持ち続け、
「新しく信じていいこと」に目を背けるから。
そうじゃなくって、
いつだって柔軟に、
「今ここ」に必要なことを信じていけばいい。
それを見極めて、自分らしい答えを出していけばいいのです。
小学校の時に好きだった遊びと、
大人になってから好きになる遊びに
共通点はあれど、
一緒である必要はないし、
昔、買ってもらったからといって
小さいサイズの洋服をずっと着続ける必要は、ない。
それなのにわたしたちは、
「これは大切な人にもらった大切なものだから」と言って
かつて抱いていた信念を、
大人になって不要になって不都合になっても信じ続ける。
それ、窮屈じゃありませんか?
それ、もういらないんじゃありませんか?
変化の時に苦しくなるのは、
上手に着せ替えができないから。
昔の服を着たままでは
新しいパーティーにすら、いけないのです。
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私たちは、誰もが「信じていること」を元に
行動したり、考えたり、世界を見たりして、
そうやって自分の信念を軸に
現実を構築していってます。
昔に信じていた「幸せの形」と
今になってからわかる「幸せの形」には違いがあります。
愛されていない
幸せじゃない
不幸な気がする
人生に応援されていな気がする
認められていない気がする
これらすべて、
あなたが、あなたの「いまここ」に合わせた信念ではなく、
かつて昔抱いた「自分はこうであるべき」という信念に沿って生きている、ということ。
もう、窮屈なんです。
昔の愛され方じゃ、もう窮屈なんです。
もう、苦しんです。
昔のように無邪気に愛してほしいだなんて
思えない次期がやってきたのです。
いつまでそうやって言い続けようか。
いつまでそうやって古いものにしがみついていようか。
いつまで、でもいいんですよ。
でも、窮屈ですもんね。
他に新しい服があるのです。
他に楽しい世界があるのです。
だから、結局は
『別に信じ続けるものがなくたっていい』のです。
『その都度、自分の信じていること、
信じたいことをハートに合わせる』ことが、できるのです。
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わたしが不安になっても、
恐れを抱いても、そして悩みを抱えたとしても
ものすごいスピードでどうでもよくなるのは
自分の信念の着せ替えがものすごく早いから。
例えば、
「結婚することが最も幸せな女の形」と思っていたとしましょう。
この信念はもしかしたら
ものすごく幼い頃に覚えたことかもしれません。
でも、大きくなって
いろいろな恋愛をして、いろいろなものをみた後に、
「結婚しなくても女の幸せの形はたくさんある」
と信じることだって可能です。
つまり、何を信じているのか、
によって自分の心の状態は決まり、
信じていることが古いよ、ってお知らせが
感情的なサイレンになるわけです。
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子供の頃は、お母さんのおにぎりとか
おばあちゃんの漬物とか、
実家のご飯が、一番おいしいと信じていたかもしれません。
いまでもそれは変わらないかもしれませんが、
大人になるとおのずと美味しいものにたくさん出会うわけです。
ウニとか、
いくらとか、
フォアグラとか、
そういう珍味にも触れ、
舌が肥えてくる。
だから、おのずと「これが絶対に美味しい」と思えるものが増え、
信じることが増えていきます。
小さい頃より
大人になってからの方が信じることが増え、
逆に人はそれで
「何を信じたらいいかわからない」と嘆きます。
なんでもいいんですってば、ほんとうに。笑
信じたいことを、信じてくださいな。
着せ替えが可能なように、
いつだって身軽でいること。
そして、いろんなお洋服を楽しんで
いろいろなシチュエーションに合わせて
ファッションを変えるように、
いろいろな人生や場面場面に合わせて
自分の信念も着せ替えていく。
変わらない何かを求める者が
一番弱くてもろくなります。
何がどう変わろうとも
そこに変わらない何かを見いだせることが
私たちの本来の強さなのです。
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