自分が嫌だと思ったことを我慢することで
相手を幸せにしようとする人がいる。
というか、私たち人間は
誰もがそういう部分を持っている。
でも、
自分の我慢によって相手を幸せにすることはできない。
自分が我慢することでその代わりに
相手を笑顔にしようとするけれど、
最終的にはその二人、どちらも深い部分ではつながれず、
作り笑いのまま、どちらも幸せにはなれない。
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我慢しない勇気、
というのは時に、とっても大切となるものです。
でも、我慢しないことだけがいいことではありません。
「我慢のしどころをちゃんと見極めること」
それと
「我慢の前提」がとても大切。
「あとちょっとの辛抱」という言葉がありますが、
この「あとちょっとの辛抱」ってのは
いわゆる、
重い荷物を持ち続けて、
その荷物のゴールまであとちょっと!力を込めて!
ってことであり、
そのゴールにたどり着いたなら、もう力は抜いてもいいんです。
でも、そこでずーっと力を入れ続ける。
必要のないところで、もう必要ない筋肉を使いつづける。
肩こりと一緒ですね。
そうするとそれが慢性化してしまって、
結局、ゆるめていればいいところ、休んでいればいいところ、
ずーっと、緊張しっぱなしの状態が生まれてしまう。
そういう我慢はしなくていいですよ、ってことなんです。
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過剰な我慢は、誰のためにもなりません。
我慢には見極めと思いやりが必要なのです。
愛のない我慢は、誰も幸せにしません。
「あなたに笑ってほしいから、わたし嫌だけど我慢する」
なんて、
それ、言われて嬉しい人いるでしょうか。
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ここ数日は、
大切な人たちとのガチセッションな日々でした。
嫌なことを嫌といい、
違和感を違和感と伝え、
どうしてほしいとかではなく
「あなたと対話したい」の気持ちとともに。
素直になんでもぶつけた。
今までわたしは、
自分のことは自分のこと。
相手のことは相手のこと。
というように接してきたし、
それがこの仕事をする上でのひとつの思いやりだと思っていました。
だからこそ、
仕事のときというのは
相手の気持ちを思いやり、自分の感情をぐっとこらえ、
丁寧な言葉や表現を探すことが多いです。
これは
「わたし自身を幸せにする我慢」であり、
お客さんを幸せにする我慢ではありません。
でも、プライベートでそんなことは、
しなくていいんじゃないか?
素直に言えば、素直にぶつかれば、人間同士
意味わからんこと言い合いながら
少しずつすり合わせしていけば、いいんじゃないか?
とここ数年は思うようになってきて。
プライベートではもう完全に、
自分の思うがままに、思うがままのことを
伝えるようにしています。
それは
「わたし自身を幸せにする、我慢しない勇気」なのです。
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この2日間で、実にいろいろな人とガチな対話をしたと思います。
結果的に、
どれも超気持ちよく清々しく終わっています。
(しかも、数時間とかで終了)
「あなたの笑顔が見たいから」じゃなくて
「あなたと一緒に笑顔でいたいから」
だからこそ我慢しない勇気。
それって必要なのですね。
まとまりきれていないけれど、言う。
まとまっていないんだけど、伝えたい、だから
そのまま聞いてほしい、と伝えること。
何かを決めたいわけではなく
正解を求めたり、どちらが正しいかはっきりさせたいわけではなく、
ただただ、あなたとコミュニケーションがとりたいんだ、と伝える。
そんなところまでも我慢しない、ってことです。
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素直さというのは、テクニックの問題ではありません。
素直な時に素直になれる。
それこそ、本当の素直さだと思うのです。
でも、我慢のしどころを間違えると、
誰も幸せにならない。
素直にならなくていいところと
素直になるところを間違えて、
コミュニケーションが、取れない。
あなたは大切な人と、どうですか?
我慢の見極め、していますか?
そして、
あなたのその我慢、
遠慮、言えずにいること、
それらには
「あなた自身を幸せにする要素」はありますか?
自分と相手への愛と真心がある我慢は、
全然いいと思います。
誰のことも幸せにせんくって、
コミュニケーションもとれんくって、
いいことはいうのだけど、全部綺麗事で、、、、
みたいな、
そんな我慢は、いらんのです。
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(2915年の過去記事より。)
先日、メルマガでこんなことを書きました。
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感情ばかり優先すると、そうなりますね。
(感情とフィーリングは違います。フィーリングは大切。感情は嘘をつきます。)
都合よいときだけ自分を受け入れて、
都合悪いときは自己嫌悪に陥り、プライドを捨てることができない。
↑ここで絡んでいるのが、感情ね。
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そう。
感情とフィーリング(感覚)って、ちょっと違います。
また、感情と本音というのも、ちがいます。
この本でも書いたのですが~・・・
どんな感情もね、OKしてあげて欲しいとわたしは思っています。
しかし、感情にひっついた思考(ことば)を
本音だと思うのはちょっとストップ。
感情は味わって~感じて~
それと同時に出てくる”ことば”は、聞いてあげて抑え込まない。
でも
『それを自分の本音だとして外に出す』のは、
実はちょっと、ちがう。
そこを我慢(とは言わないかもしれないけれど)することが
わたしはあるのですが~…
なんでかって言うとね、
本音ってのはもっとそのことばの奥にあるからなんです。
例えばパートナーと喧嘩したとして。
イライラしていたとして。
だいたいそういうときに考えていることって
相手に対する不平不満だったり、
いやみだったり、むかつきだったり、暴言だったり(笑)するわけです。
そのとき、怒りとかもやもやとか
とにかく嫌~な感じの感情が出てきますよね。
でも、それは本音ではないのです。
だいたい本音って、それらを出し切ったあとに
ぽつん、と残るもの。
手放して手放して手放して、
あ~もう何もないわ~となったあとに
ぽつん
と、残っていたりするの。
だからわたしは、
激しい感情を感じたときは特に
その声、そのことば、そのエネルギーを
自分の中で、感じて感じて感じて感じて感じきって
外に手放してしまうの。
そうすると、外にそれらのことばや
暴言を出すことなく、
自分の中にも貯めることもなく、
そして、ぽつんと本音が、出てくる。
それを見つけたら、
それは外に出すの。
本音を外に出して、表現すると、
その人はとーっても輝く。
上の記事で書いた
”我慢のしどころを見極める”ってのは、
こういう感じかなぁ、と思って追記してみました。
ここらへん、うまくことばで伝えるの難しいのですが、
体感を通して伝授していきたいので
身に付けたいな、と思う方はプログラムに参加するのがベストです。
体験会はあと1名となりました。
来期は特に、この「感情を感じ切って、本音み気付く」に特化していきたいと思います。