人間が一番不幸な瞬間って、
どんな瞬間なんだろうって、ふと思いました。
私の中で、ひとつの答えがあります。
みなさんは、どんな瞬間だと思いますか?
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何かの不足?
何かの欠乏?
お金がないこと?
恋人がいないこと?
パートナーが愛してくれないこと?
仕事がうまくいかないこと?
ううん、どれもちょっと違う。
人間が最も不幸なとき、それは
『生きることに興味が湧かないとき』
なんじゃないかな、と最近思うのです。
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仕事もうまくいってる。
恋愛もしてる。
好きな人たちも周りにいる。
自由な時間もお金もある。
でも、
「幸福であること」にも
「不幸であること」にも
たいした興味がない。
もっと平たく言えば
「欲がない」ときなのかもしれません。
いわゆる「欲」というものは毛嫌いされる傾向がありますが、
やっかいなのは
「扱えない欲」であり、
つまりそれは「欲に対する知識がない」状態であり・・・。
でも、欲そのものは菌みたいなもんで、
ある程度ないとダメだったりするものなのです。
菌をすべてきれいにしてしまってはダメなように、
欲をすべてきれいにしてしまっても、キツイ。
特にこの資本主義社会では、
生きづらい。
競争意識と劣等意識を生む
お金という数字に惑わされた
貨幣文化ですから、
そんな社会環境の中、欲を排除したとしても
逆に辛いものです。
大切なのは欲をなくすことではなく、
「欲に智慧」をなくすこと。
今のわたしは
そういうことなんじゃないかと思うのです。
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こういう仕事をしていると
心理学やスピリチュアルをやりすぎてしまって
苦しいことに対しても
それほど反応もしないし、
嫌いな人に対しても、
それほど嫌な気持ちにもならないし。
かといって、
人生何したって思い込みなんでしょ?
っていうか、何のために生きているの?
ってつまらない顔をしてしまう人がいます。
何のために生きているのか・・・。
ぶっちゃけわたしにもわかりません(笑)
わかったところで、
また何かにぶつかったら分からなくなる。
それはまるで、
増えたら増えたらで嬉しいけれど、
減ったときにまた恐れが出てくる銀行通帳の残高のように。
生きている意味、
というものを言語化し安心しようとすると、
その瞬間はよくても、
また別の瞬間に、それが正しいのかどうか危うく感じ、
また答え探しをしてしまう。
かくいうわたしにもそういう時期はあったし、
今でも気をつけないと
生きることを完全に放棄するくらいの
透明人間になっちゃうんじゃないかと思うことがあるのですが(笑
(いや、月に数回はそういう日があるのですが。笑)
適度な欲、というものと、
欲に対する智慧ってとても大切だなぁと思うのです。
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欲ってのには2種類あると思っていて。
1種類目は、古いガソリン。
2種類目は、新しいガソリン。
古いガソリンは、すでに過去に使われたものですから、
過去の後悔がふんだんに含まれた欲みたいなものです。
そのような欲は、結局
・いつかの無念を晴らすため
・認められなかったことの復讐
・古い幸せの形への執着
なども含まれている感じです。
逆に新鮮な欲というのは
それを超越した、新しいもの。
今ここで、フレッシュに切り替わり、
自分をどんどんパワフルにしてくれるもののような気がします。
ここで言う欲に対 する智慧、というのは
・欲とは何かを正しく知ること
ではありません。
また、
・欲をコントロールすること
でもありません。
別の表現で言えば、
・欲に対する姿勢
です。
また別の表現をするなら
・欲を育てる土壌
が大切だということです。
欲に対する考えというのは、
あちこちで転がっています。
でも、自分の欲に対する智慧は、
自分の体験上でしかわかりません。
欲に対する姿勢をわたしたちは学ぶために、
このような不自由で有限的な身体をもって
生まれてきたのではないか、とも最近思っています。
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そうそう、この前
このハタユカラボの10月動画
『パラレルワールド』についての動画を収録していました。
▼こんな感じの話しています、という動画。
ここで話していたことって、
かなりぶっ飛んでいる、、、ようで科学的な話。
実際に、いろいろな世界が
同時多発的に存在しているということは
そのうち科学でも証明されてくるのですが、
普通に生きていたらそんな風には思いませんよね。
人生がいくつも同時に存在する、だなんて。
でも、パラレルワールドという概念がわかることによって
逆に「今、経験しているタイムライン」をどう生きるか。
ということを知るような気がしています。
それは結局
・欲に振り回される経験
を通して、
・欲に対する姿勢
を身につけているような。
そんな感じが、するのです。
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潜在意識の世界というのは
とても夢を見させてくれます。
意識の使い方、
エネルギーの使い方、
未来と過去の捉え方、
願望の達成方法、
いろいろあって、どれも試したくなります。
でも、結局、
最も大切なものは
それらを活かせるようになるかどうか、ではなく
それらによってわかる
「今、このとき」の尊さ。
なんじゃなかろうか、と。
そう思ったときにですね。
「欲」もまたそうで。
欲を持つこと、持たないこと、そういうのが大切なのではなく、
それらを通して
「今、このとき」の尊さをわたしたちは学んでいるのかしら、と。
ふとそんな風に思うのでした。
(とはいえ、ここに書いているのもわたしの考え。
みなさんの感覚を大事にしてくださいね。)