他人の敷いた常識のレールの上を歩くのは辛い。
なぜなら、それは自分のたどり着きたいゴールじゃないし、
どこにいくかもわからないから。
人が決めたことを無意識的に守り続け、
人が決めたゴールを無自覚的に達成しようとし続けるのは辛い。
なぜなら、そこに自分はいないから。
そこに自分への配慮はないから。
—
私たちの中には、
自分の体験によって決めたことと、
そうじゃないことが両方入っています。
幼いころは世界を判断する基準がなかったために、
多くのことを他者から教わってきました。
何をしていいか、
何をしちゃダメか。
そして、自分で決めたことではないけれど、
いつのまにかそれを自分の常識とし、
気づけば他人が設定したゴールにたどり着こうとしてしまいます。
その結果、
自分にとっては何の意味もないゴールを目指すことになり、
なんのためにやっているのか
なんのために生きているのか
なんのために仕事をするのか
なんのために結婚をするのか
にさえ、迷いが生じ、
歩むことにためらいが生まれます。
—
そんなときほど、
自分の常識を新たにつくるチャンスです。
他者が敷いたレールを無意識に歩いていることに気づき、
そこから降り立って自分のレールを敷いていくしかありません。
しかし、
他人の敷いてくれたレールほどよく見えます。
他人が先を歩いてくれているので
それが安心だと勘違いしてしまうのです。
—
誰かや何かによって決められたゴールを達成できないと、
それによって自分の才能がない、と思ってしまうこともあります。
誰かの設定した目標を達成できなかったり、
人の常識から反してしまうと、自分をダメだと思ってしまいます。
しかし、本当にそんなことはあるのでしょうか?
ないですよね。
わたしたちは、他人の常識どおりに生きていくために
あれこれがんばり、
仕事をし、
家事をこなし、
みんなのために生きているわけではありません。
求められている人になるために生まれてきたわけでもないし、
社会的にすばらしい人間になるために仕事をしているわけでもない。
自分の中だけにあるレール、
そして、自分のことを思いやった目標を
どれだけ意識することができるでしょうか。
・・・と書いたものの、
それが難しい、あるいはできない、と感じるから
人は答えを欲しがるのでしょうね。
—
でも、自分だけの道も、
自分だけの常識も、
自分だけのゴールも、
それは、時間をかけて、
いろいろな感情や想いをこめて、
そして、コツコツと出来上がっていくもの。
他者がすでに経験した答えは一段と説得力があり、
即効性があり、
そしてわかりやすいものです。
でも、
自分の答えに自信を持つことがなかなかできません。
その壁の先にあるのは、
自己信頼。
ゆるがない自分への愛。
真心を自分へと届けるためには、
自分自身に迷いの時間を与えることが重要なのです。
—
この記事で書きたかったことは、
この記事を読むすべての人に
迷いの時間を愛でる、という一つの視点を持ってもらいたかったから。
そして、
何かがわからない
何かが見えない
何かができない、
そんな時間をたくさん持つことは、
実はどこかで自分を大切にすることにつながり、
見えなくても着実に自分だけのゴールへと
向かっている、と思ってみて欲しいのです。
あなたは豊かです。
わたしも豊かです。
それは外側で何が起きているか、に関わらず、
内側で何を体験しようとするか、によって決まります。
11月も半ばに差し掛かろうとします。
季節が変わっていくのを心配する人がいないように、
時を経て自分は常に変わっていっているのを感じることができれば、
おのずと自分だけのレールが敷かれていることに気づけるでしょう。
ちょっと肌寒いけれど、
いい季節になりました。
暖かいお風呂が、より一層幸せに感じる季節ですね。