わたしにも一応(?)
悩んだり、嫌になったりすることが、ある。
でも、それによって苦しめられることはほとんどない。
悩むことに悩まないし、
嫌になることに嫌になったり、しない。
感じて、触れて、ちょっとしたら、終わりにする。
そういうわけでいつも何かしら能天気な感じなのだけど、
これには最大のコツがある。
——
まず、わたしたちは
何かを諦めた時
に悩んだり苦しんだりする、ということを覚えておこう。
勝手にどこかで「ありえないし」と思っていたり、
過去の「どうせ」に負けてそれ以上想像することをやめたり。
「わたしはこういう人だから」といって
途中で放棄してしまったり、
「あの人はこういう人だから」といって
勝手に相手を見ているようでそっぽ向いてしまってたり。
ん?心当たり、あるでしょ~。笑
でもその奥でくすぶる何かがあるからまた考えてしまう。
違う世界があるのではないか。
違う体験ができるのではないか。
もしかしたら、があるのではないか。
だから人は、迷い、悩む。
諦めているくせに、
諦めきれていない。
それが問題意識をうんだり、悩みをうんだりする。
—
だからわたしは悩みが出てきたときはいつも考えるようにしている。
「わたし、何を勝手に諦めている?」と。
それは他人のことだったり、自分のことだったり。
「今までもこうだったから、どうせこれからも」
と、想像すること、そして違った未来があるかもしれないことに
賭けることを、しないでいるのだ。
(要するに、ただ想像することをサボっているだけ。)
じっと問いかけて、
自分の中にある「諦めた」のだけど、
蘇ってきた想いがあることに気づく。
—–
何かを勝手に諦めているときというのは、
別の表現をするならば
「勝手に未来を決めきってしまっているとき」でもある。
余白が、ないのだ。
いつも何かに悩んでいたい人は、余白が嫌いだ。
未来に不確実性などいらない!として
過去の情報でぎゅうぎゅうづめにしている。
希望も入らなければ、ワクワクすることも、見つけにくい。
未来が圧迫されているのだ。
過去に。
過去という、必要なときだけに使えばいい情報を
未来という広くて自由で壮大なところに
びっしりと詰め込まれている状態。
それが、悩みの状態でもある。
—
だからそういうときわたしは、
ひたすら「諦め」をうんでいるきっかけになる過去を思い出す。
どれだ、どれだ、
「今」のわたしを諦めさせている
「過去」のわたしは、どれだ、と。
そうすると大抵見つかる。
そして、だいたいそのときの自分が
お口をへの時にして、今の自分にこう囁いているのだ。
「へっ。傷つくからやめときなよ」( ̄へ  ̄ 凸
って。
———-
よ け い な お せ わ だ
っつー話である。
全くもって、てめーの知ったこっちゃねーだろと
反抗したくなる。
しかし、過去のわたしにもわたしなりの意味があるのだ。
昔こんなことあっただろ?
な?
な?
悪いことは言わないからさ、
やめときなよ。
できないって思っといたほうが後が楽だよ。
ね?
ね?
いうこと聞いて?
まだ経験していないお前に比べて
おいらはすでに経験しているからわかるんだ。
だからさ。
『諦めなよ、YOU』(`・へ・´)b
って、悪魔の声でささやきかけてくる。
—–
そこからが、いつも勝負なのである。
過去と戦ってもしょうがない。
確かに傷ついた。
でも、まてよ。
もう傷つきたくないから
と
悩み続ける
のって、どっちがいいのか?って聞かれたら
いや、あたしは、もう傷つきたくないからって声を無視するね、うん。
だって
わからないもの。
また傷つくかもしれないけれど、
その度に強く優しくなっていくし
また傷つくかもしれないけれど、
その度にまた誰かと出会えるかもしれないし
あぁあ、そっちのほうが、いいや!
と思ったとき。
今の勝利、となる。
—
とまぁ、そんな感じで脳内会話が
繰り広げられるのであった。まる。