先日、このような記事を発見しました。
天命について書かれたこちらの記事です。
(読んだら戻ってきてね♪)
あ、そうそうそう。と思ったので
この記事をお借りして、わたしなりの言葉で表現してみたいと思います。
1.あなたが生まれてから、自分がその天命のためにずっと訓練を受けていたということに気がつく
これを言い換えると、
「すべての過去に感謝できることに気がつく」
ということだと思います。
もちろん、人には過去の後悔や、罪悪感。消化しきれない感情などがあるので
すべての過去に心から感謝を抱くことはわかっていても簡単ではありません。
しかし、ある時、ある瞬間。
今までの経験やすべての失敗、課題、そして試練たる過去が一斉にして自分を引き立ててくれていたものだったと気づく瞬間があります。
その瞬間を体感した時、なんとも言えない幸福感に包まれ、過去から見た今の自分がとても大切なものに思えます。
逆にいうと、過去のすべてを愛だったと思えない時、その道すがらもまた何かに繋がっている時なのでしょう。
だから、焦らずいきたいものです。
でも、誰の人生の中にもこのような瞬間があり、またそれを望み、自分に対して妥協しない姿勢というものを持つことはできます。
過去のすべてが愛だったとわたしが気づいた瞬間。
それはわたしの中でこれが生まれた時でした。
2.不思議なことが起こり始める
こちらは言い換えると、
「不思議な物事の連鎖が舞い降りる」
という感じです。
不思議なことが連鎖する時。自分の思考の枠を超えた出来事が連続する時。
確かにこの時は自分の人生の流れの中にいるな、と感じます。
その不思議な出来事の連鎖は、大きなものや小さいものまで様々ですが、
わたしの経験上、それらは目を開いていないとすぐに見逃してしまうような小さなものばかりです。
日々の中に、不思議な出来事が連鎖して起きていますが、
そのシンクロニシティに気付けるかどうか、が自分の状態を教えてくれます。
つまりそれは「自然体でいるかどうか」の一つのバロメーターなのです。
本当に自然体でいるとき。
自分の心の衝動や感情を、見えない誰かや過去の価値観、常識、ルールで閉じ込めることなく
すべてを「表現」するときに、
自然体、というものは顔を出します。
そのような状態になっているとき、人は日常的なことさえも
不思議の連続であるとわかり、感動を覚えるのだと思います。
少なくともわたしは、自分の状態チェックのためにこのバロメーターを使います。
つまり、ごく些細なことであれそれが不思議といろいろなものと繋がっていると。
そう感じることがないのであれば、自分はどこか無理をして人生の流れではないところに足を踏み入れようとしているのではないか、と
一時停止することができるのです。
3.自分の道を外れそうになると、方向性を変えさせられることになる
これはちょっと難しい部分があるのですが、別の表現を使うなら
「方向性を変えられるときは、自分の道も同時に教えてくれる」
ということかもしれません。
わたしは幾度となく、いろいろな人の考えや行動、また外側の現実によって
自分の道を再度、教えられるというような経験をしました。
方向性を変えられるとき、人は無意識に「コントロールされている」と感じてそれを拒否してしまいます。
それが外側への拒否や否定となることもあります。
でも、その外側からの圧力は、自分の道へと押し戻してくれる場合がとても多いのです。
だから、圧力そのものに意識を向けるのではなく、自分がどこに戻ろうとしているのか?
そうやって自分の「心の真ん中」を見つけるチャンスにするのです。
実際、自分の意志を大切にするタイミングと、
周りからのコントロールにゆだね、流され、方向転換を余儀なくされるタイミングと、
その二つがあります。
これらを見極めるのはちょっと言葉にしにくいのですが、
頭では方向転換を拒絶し、心では別の方向に対する引き寄せられるような引力を感じているならば、
そのときわたしは自分の意志を、捨ててしまうことがあります。
逆に、頭では方向転換の方に惹かれつつも、心の中に決して消えることのないくすぶった炎みたいなのがあるときは、
頭を少し落ち着かせて、自分の中にある熱に注目します。
そうすることで、外部からコントロールされて方向転換させられそうになっているときに、
それに従うか従わないか。
自分の感覚で決めることができるようになります。
4.障害物がある時も、容易に乗り越えることができるようにガイドされる
わたしなりに言い換えると、
「障害物が乗り越えてくれと言っているような気がする」です。
たまに出会う障害物。
ほとんどの場合「壁」とか「ブロック」とか「不安」とか「恐れ」とか、
物理的な障害と、心理的な障害との二つにわけられますが、
どちらの場合にしろ、壁として無視するか、それとも壁を乗り越えるのか。
それらが「障害物」と思っているもの、こと、ひと、状況が教えてくれます。
わたしの場合、
どれだけ目に見えて障害物であろうと、それがこちらに向かって手招きしているような感覚があったら、
それは障害物ではなくひとつの「遊び道具」のようなものになります。
壁、ブロック、乗り越えるべきもの、ではなく
自分にとってそれらと遊ぶ感覚で挑むとさらにいいことがあるよ、と。
そうやって手招きされている感覚があればあるほど、
その障害とともに、人生の流れにのっているなぁ、と感じます。
5.間一髪の時に、魔法のような助言者が現れる
これは、今までよくあることでした。
魔法のような助言者は、人だったり、本だったり、テレビだったり、映画だったり音楽だったり。
今までなんども聞いた曲から突然「ことば」が切り取られて助言となることもあります。
間一髪のとき、というのもありますが、ベストタイミングのとき、といってもいいかもしれません。
わたしの場合常に感じているのは、
「ベストタイミングはいつも、頭で考えるよりちょっと遅い」
そんな感じがいつもしています。
6.健康状態が改善される可能性が高い
人生の流れにのっているとき、過度の飲食や、過度に摂取することへの欲求がなくなります。
別の表現で言うなら
「身体感覚が増す」とも言えるかと。
身体感覚が増すと、疲れやたまった感情に敏感になり、
「感じられずに頑張りすぎる」といのを阻止してくれます。
食べ過ぎも同じ。
自分の本当の腹具合がわかるということは、身体的に自分の内部にまで感覚が行き届いている証拠。
人生の流れから逸れているときは、それがわからないことが多いです。
だもんで、そういうときは、思いっきり体調を崩すなどが発生して、リセットされる場合も。
そんなことを意識しだしてから(身体感覚を)
風邪も引かない、猛烈に疲れることも、めっきりなくなりました。
流れにも乗れるし、頭も冴えるし、身体も元気だし。
総合的にお得だなぁ、という気がしています。
7.もう少しでギブアップしそうになっていた時、お金が入り始める
これはもう・・・ありますあります、ありました!笑
別の表現にするなら、
「もうダメだ、と思った時に突然ご褒美がくる」と。
ご褒美はお金の場合もあるし、お金になるアイデアや発想の時もあるし、
ダイレクトに現金の場合もあるし、これは人それぞれかもしれません。
かみさまからご褒美がきた、褒められた!評価された!
そんな気持ちになります。
逆に、ご褒美や賞賛をかみさまが出し渋っているような感じの時は、
自分の流れにのっていないなぁ、と感じるようになりました。
これも良い方向転換のひとつのヒントです。
そんな時のために、いつでも「受け取り体制」は整えていたいですね。
8.どう考えても不安を感じるべき理由があるのに、不思議なくらい安心感を感じる
まさに、今の状況です。ちょっとは不安になれよ、という状態です(笑)
しかし、頭でいくら考えようと、いくら「ちょっと不安になっていた方がいいぞ」という声が聞こえようと、心はそんなのを気にしません。
逆に言えば、物事が絶対に成功するという確信があるから安心感を感じるのではなく、
「成功しようとしまいと、大丈夫」という安心感にちかいと思います。
結果が出るから安心。
このやり方は安心。
などではなく、
純粋に、自分の未来に興味と関心があり、そして楽しみ、という心があります。
そのようなときって、経験上何をやってもうまくいきます。
物質的、物理的な成功とは違います。これらは「おまけ」のようなもの。
でも、必ず「心は絶対に満たされる」という絶大な安心感がある。
これって、まさに
「どうなろうとも、これをやっていることが幸せ」と思えているとき。
そんなヴィジョンや夢、未来が思い描けたとき人は、
不安な状態や、何かしら障害が多い状態でもそれに全く心が揺れず、
常に自分の真ん中に立っていることができるのでしょう。
9.宇宙があなたの目の前に赤い絨毯を広げてくれる
言い換えると、
「こっちだよ、という自分のため魅惑な道が見える」
かもしれません。
しかし、その誘惑の道、つまり赤い絨毯は自分の思考からすると、必ずしも魅力的ではないことも、多いです。
でも、やはりここでも大切なのは、その赤い絨毯を歩きたいと心が言っているかどうか。
身体がその赤い絨毯を歩くことに静かな興奮と至福を覚えるかどうか。
誰の目の前にも赤い絨毯は引かれていると思うのですが、
それをただのオンボロの絨毯だと思っている人も多いのかも。
自分の心も身体も踊り出すような道が見えたとき。
人生の流れに立ったときなのかもしれません。
10.会うべき人があなたのことを見つ出す
これは、逆の場合もあるような気がします。
自分が見つけ出す、とか。
会うべき人を紹介される、とか。
人との出会いが普段、少ない方のわたしにとってはこれはいいサインです。
特に、ピンときた人と出会って、その出会った人がさらに繋げてくれた人こそが
ジャストヒット!だなんてことも、あります。
出会うべき人と出会うために、まず出会う人もいる、ということ。
でも、会うべき人と会えるというのは間違いなく乗っていい流れであり、
そこで化学変化が起きて全く不可能だったことも可能になる、なんてことも。
実際、わたしにも最近そのようなことがありました。
ピンときて出会った人によって
ふとしたタイミングで紹介してくれた人がいます。
その紹介してくれた人と出会ったとき、
わたしの長年の夢が叶うことがわかりました。
一人ではどうしようもできなくて一度諦めたことに、まさに赤い絨毯が引かれたのです。
あぁあああ、いけ!GO!なんだな、と。
不安や恐れの中を、絶大な安心感が充満しているような感じでした。
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あくまでも、わたしの意見であり、今まで体験したことのまとめのようなものですが・・・
これらをサインとして、自分の状態をチェックするのには役立つのではないか、と思います。
実際に、道を踏み外したこともあるし、
自分の流れを無視して強行突破し、しっぺ返しくらったようなこともありました。
でも、
今は、自分に素直になれます。
今は、自分の身体感覚、心、魂、というものに忠実でいられる。
その理由は、
「自分」でいること。
「自分ならではの自然体でいること」が
どれほど素晴らしいことなのか。
その素晴らしさを体感し、表現する素材(肉体、感情なども)すべてあらかじめ用意されていたんだ、ってことがわかり。
もう、何も「獲得」する必要はない、と実感したからです。
別にそんなわたしがすごいというわけではありません。
だから、焦る必要はまったくないと思います。
実感するタイミングはそれぞれ違っていて、それぞれのベストタイミングというものがあるからです。
ただ、
「すでに全部ある」という前提で、
「獲得」のために生きるのではなく
「表現」するために、生きているという実感。
それを強く意識しながら周りの世界を見渡すと、
とても豊かで光に満ち溢れた毎日なんじゃないかと思えてくるわけです。
「獲得意識」は一見、とてもアクティブでポジティブなイメージがあるかもしれません。
(別に悪いわけではないですが。)
でも、何かを獲得するために頑張るのではなく、
あらかじめ用意された肉体や感情や感覚という機能によって
「無意識に手に入れた」ものを
自分がどう表現するのか。
それこそが、大切なんじゃないかと思うのです。
—-
お金がもっと欲しいと、思うでしょう。
楽しいことがもっと欲しいと、思うでしょう。
成功を獲得したい、と思うでしょう。
でも、
それを別の形で言い換えてみるとこうです。
お金でもっと表現したい。
楽しいことをもっと表現したい。
成功でもっと表現したい。
こう言い換えてみると、また別の角度からみることができて
楽しくなるんじゃないかなぁ、と思うわけです。
—-
久々のブログは、たいへん抽象的になりました。
どうぞ、流れるように感覚でお読みくださいませ。
(って、もう文末だけど。)
そして、本日で26歳となりました。
お誕生日~です♪
26歳からのわたしは、
肉体から何かが溢れ出てとまらないような、
そんな日々を過ごしたいと思います。
「魂が嬉しくて踊り出す」
ような。
そんな歳にしたいと思います。
んでもって、26歳の記念にブログがちょっと新しくなりました。
ぜひパソコンバージョンで見てみてくださいね。
タイトルが、今後のわたしの生き方そのものになります。♪