人生はすべて思い込みだ、と普段からいつも思っています。
だからこそ、毎日自分の思い込むことを
『自分で選択』
しようと思っています。
思い込みなくなっちゃったら、死んじゃうから、それは無理で(笑)
思い込みを手放すとか外すとか言われているけれど、
わたしはどっちかといえば
「自分の意志で選択する」って表現のほうがわかりやすいのではないかと思っているんですね。
例えば。
りんごとバナナがあって、
りんごは赤くて丸い、バナナは黄色くて細長い、
っていう思い込みがなければりんごとバナナの区別はつかないわけです。
区別がつかないと判断ができないので、
りんごもバナナも選べない。
だからこそ、
思い込みをなくそうとするのではなく、
「思い込みを自分で選ぶ」っていう意識がとっても大切です。
よく、
『できないって思い込みがなかなかなくならないんです』と言われるのですが、
大事なのは「できないって思い込み」があなたを不幸せにしているわけではないってこと。
「わたしはできない、って思い込みがあるんだよね~♪どう?最高じゃない?♪」っていえたなら、
その思い込みは自分の意志で選んでいるので
苦しめられることはありません。
でも、自分が選んだつもりもなく
勝手にいつのまにか思い込んでしまった過去の価値観が出てくると
自分で選んだものじゃないので、
なんかしっくりこない・・・。
し、誰かや何かに強制的にそう思え!と言われているような気がして
窮屈な感じがしてしまうのです。
話はずれますが、
我が家の家具はわたしがほとんど意志を持って買ったものばかりで、
逆に、我が家にないものも、
買えなかったとかじゃなく単純に「いらない」を選択した結果、
ないものも色々とあるのですが、
もしその空間が
「選んで買った」ものではなく
「選ばされて買った」ものばかりだったら・・・?
その空間の居心地は悪いですよね。
心もそれと同じなんだと思います。
『あぁ、わたしこんな思い込み持っているな(いやだなぁ・・・)』と気づいたなら、
それをすぐに手放そうかどうか、判断するのはやめよう。
しばらく放置して、
「あ、まぁいいや持っていても」となるかもしれないし
「いいじゃん、そういう思い込みがあったらこういうメリットもあるじゃん♪」
となるかもしれないし。
選ぼうともせず、
感がようともせず、
心の声を待とうともせず、
思い込みが出てきてそれがちょっと嫌だからといってどうのこうのしようとしなくてもいい。
わたしは愛されない思い込みだって
お金が入ってこない思い込みだって
人生がうまくいかない思い込みだって
いつも二番手だって思い込みだって
なんだって、いいんだよ。
持つか持たないか、自分で選ぶ。
自分の心がその思い込みにときめくなら、
それでいいじゃない。
人生はカスタマイズされる用に
そのほとんどが「自由」でできているのだ、といつも思うのでした。