物分かりのいい子でいることが大切だと思っていた。
現状をよく理解して、
その人の立場をよく考えて、
気持ちを汲んで、
先回りして手を加えてみたりして。
物分かりの良い自分でいることが
愛されるために必要なんだと、思っていた。
そして、いつしかそれが当たり前にできるようになった。
周りの人にもそれを要求することだって、あった。
でも、無理なときだって、たくさんあった。
いい顔して、平気な顔して、ぐっと湧き出るものを堪えることだって、何度もあった。
ここではダメ、この人のことをよく考えて、この人の状況をよく考えて?
そう何度も自分に言い聞かせ、ぐいっと飲み込むことは
いつしか得意技になった。
もう子どもじゃないんだし。
とありきたりな言葉で自分を落ち着かせて、
物分かりの良さが与えてくれるメリットを指折り数えたりもした。
長期的に我慢はよくないとわかっていても、
それはまるで生活が苦しいときに目の前でちらつかせられる札束のように。
何枚も、何枚も、物分かりがいい自分でいるメリットが重なって
目の前でパタパタとしている。
だけど、今わたしは物分かりの良いわたしに支配されることを拒んだ。
どれだけ我慢したほうがいい場所でも、
どれだけ相手の状況や心境を考えたほうがいいときでも、
感じることは、自由だ。
何を感じるべきで、何は感じてはいけないなど、ない。
感じたことがどれだけ理不尽であろうと、
どれだけわがままであろうと、
感じたことは、感じたことだ。
生まれた感情や感覚は、
良いとか悪いとか評価をつけられたいわけではなくただそこに生まれたありのままの感情を
感じて味わって欲しいだけなんだ。
もっともらしい理由など、ない。
悲しいときは、ただ素直に悲しいのだ。
たとえどんな理由があったって
どんな事情があったって
どんなに理にかなっていたって、
そんな理論的で理性的な情報と
わたしたちの心には関係がない。
だからわたしは、嬉しいときも、悲しいときも、自分に素直でいたい。
それを言う、言わない、要求する、しない、伝える、伝えない、はこの際、置いておこう。
感じる、知る、認める、受け入れる。
そこにいていいよって、自分に言ってあげる。
泣きたくなったわたしも、
悲しくなったわたしも、
嫌な気持ちになったわたしも、切なくなったわたしも、
ただ、そこにいるんだ。それがリアルなんだ。
理由などそのときだけはとっぱらって、
そのときだけは、いいよ、感じて、大丈夫、うん、いいよって
そうやって言ってあげよう。
物分かりのよいわたしが
感じないようにしてきたこと、
考えないようにしてきたこと、
拗ねないように、
悲しまないように、
求めないように、
我慢してきたことを。
今、自分に許す。
久しぶりに、
涙が出てきて、
久しぶりに、泣いた。
それは自分の思い込みだとか
考えすぎだとか
自分の勝手な意見だとか
わがままだとか
死ぬほどよくわかっているけれど、
そんな大人な意見をスラスラと述べてくる大人なわたしとは裏腹に、
ただ素直に悲しくて、ただ素直に寂しくて、ただ素直に嫌だと思ったわたしがここにはいるんだ。
もう、それを無視するのは、やめよう。
もう、それをなかったことにするのはやめよう。
「いいんだよ、そのまま感じて」
今日は、自分にそう、伝えてみた。
身体中がゆるんで、わたしは涙が出そうになった。
いや、実際にはものすごく、涙があふれ出たんだ。
それも、お店のカウンターで。
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今日(この記事を書いたのは4月1日の夜)
は久しぶりにふとしたことでものすごく悲しくなっちゃって、いつもなら割とスルーしちゃうのですが、せっかくのチャンスなので物分かりの良い自分と会話をしてみました。
この物分かりの良いわたしは、
空気がよめて、人の感情や感覚が理解でき、さらに状況を細かく分析して、そこに思慮深い思いやりを持って接することができる・・・
・・・ように、鍛え上げられてきたわたしだった。
もちろん、この自分がいるから成り立っている生活も、成り立っている仕事もある。
だから、消そうとは思わないし、そういう自分がいることも承知していた。
もちろん、感謝もある。
ただ、やっぱり理不尽なことで涙が出た自分を必死に抑えようとする
物分かりの良いわたしがいて。
脳内でブンブンと首をふって、自分に伝えたの。
「いや、いいよ。感じて。スネて。嫌がって。悲しいんでしょ?いいよ。」って。
相手に伝えるとか
誰かに愚痴るとか、そういうのじゃなくって
いいよ、感じて、理不尽でも大丈夫、感じることは自由だから、って。
そうやって伝えたら
ドバーッと、いろいろ溢れてきた。
誰の中にも「物分かりのいいわたし」と「理不尽なわたし」がいる。
両方とバランスよく、付き合えたら、いいよね。
とにかくわたしは悲しい気持ちになったので、
無理せず、我慢もせず、かといって悲しみを拡大させることも問題視することもせず、
その姿形が自然と変化していく様を、観察したのでした。
まる。
?