ワクワクするとき。
それは、自分の存在と重なって、自分を生きているとき、その存在を
別の形に表現しようとしているときです。
例えば、
自分と一体化していないとき、わたしたちは今の自分から分裂し、
「考え」と一体化したり
「常識」と一体化したり
「理想」と一体化したり
「過去」と一体化したり
「未来」と一体化したりします。
自分と一体化せず
それらと一体化するとき、非常に分裂した状態を観察することになります。
目の前に問題が見えます。
目の前に分裂が見えます。
自分も分裂しているように思えます。
世界は途切れ途切れで、全くつながりがなく
すべてが、還る場所を見失った迷子の羊のように見えます。
でも、
エキサイティングな状態のとき、
その状態はわたしたちに
「自分という存在と重なり、存在そのものを表現しようとしている」ことを教えてくれます。
その表現は人々を感化し、
人々にも「今」に戻らせることができるのです。
自分自身が、自分自身を表現するとき、
その形はそれぞれ違いますが
・エキサイティング
・ワクワク
・静かなる情熱
・絶対的な信頼
・安心と安全
が、内部と外部の両方に、生まれるのです。
ただ、それだけのシンプルなことなんだとわかったとき、
過去のことより未来のことより、
「今、この瞬間」をどれだけエキサイティングな時間にするか?
ということにだけ自由な権限が与えられていることに気づくでしょう。
変えられるのは今しかないし、
変えられないところにいるときは、苦しみとコントロールできないことへの葛藤が生まれる。
わたしたちは、支配されにいかない限り、
何者にも、何事にも、決して支配されることはありません。
「今、この瞬間」の自分のことは、自分で決めることはできない、と信じているのか、
それとも
外部の状況や他者が、今この瞬間の自分を決めるわけではない、自分で決めていいと信じるだけか。
そのどちらかなのです。
????
無意識的に生きていると人は
自分以外の環境や他人、世間の常識や一般的な考え
《に従って生きるしかない》
とどこか諦めてしまいます。
しかし、自分の中には、
自分で自由に決めることができる自由な権利と力があると気付けると、
それらの外部の情報は自分の人生を決める「わずかなピース」でしかなくなるのです。
環境や外部が自分を決めるわけではありません。
自分自身をどのような存在だと決めつけているか?が
環境や外部を決めていくだけなのです。
自分以外、自分を支配できるものも環境も、ありません。
そうではないと思って生きるもよし。
でも、
「過去や未来のことはわからないけれど、
今、この瞬間の自分のことは決められる」
という最もシンプルで最も大切なことに気付けると、
きっともっと多くの人が
自分と重なって生きることができるようになるのではないでしょうか。