怒る人も拗ねる人もさみしいだけ。
泣く人も大げさに笑う人もさみしいだけ。みんな、さみしいだけ。
わたしたちは、さみしいでつながってるのかもしれない。悪くない。さみしい人でいようぞ。
一応こころを取り扱う人のはずなんだけど、
最近のわたしは以前にも増して何もかも全ての悩みの根源が、たださみしいだけ、で終わる気がしていて。
そうすると、世界が社会が、こうもさみしい人を排除してしまうスタイルになっているようにふと思えてしまう。
なんだ笑顔がどうとか、成功がどうとか幸せがどうとか。
友達がおおいほうがいいとか、付き合いがどうとか、リア充がどうとか、ね。
さみしい、を受容できないおとなたちは、みんなさみしくない人のふりをして、結局人とつながるための接着剤を見失ってしまうんだ。
だから、もっとさみしがろうキャンペーンでもしようかと思ったんだけど、
さみしい、って気持ちを一番聴いてあげて欲しいのはやっぱりまぎれもない自分なんだよね。
だから、もっとさみしがろうキャンペーンをまずは、自分の中でやることにしたの。わたし、さみしい、キャンペーン。
誰かに埋めてもらうためでもなく、誰かに理解してもらうためでもなく、
ただただ、さみしいを享受してゆく。
さみしいわたしでいてもよくなると、出来ないことは出来ないと諦めがつき、
楽しくないことに無理に笑うこともなくなる。
わたしには、
さみしいを享受するわたしという名の、最強の友達がいる。
なんだ、頭おかしいと言われても、よい。
わたしは、さみしいから、作品を残す。
さみしいから、ことばを残す。
さみしいから、仕事する。
さみしいから、それでよいの。
わたしさみしいのキャンペーン、と名付けることにした。
こういうの、悪くないと思うわたし。
ま、こんなこと書いてるのは、
相方かえってこないからさみしいなぁと思いつつ一人でキムチを食らっているからなのだけど。(伝言かっ。)
——
昨日のFacebookつぶやきでした。
ほんとね、さみしくていいのよ。
さみしいひとと、
さみしさを受け入れたくなくて人に埋めてもらおうとするひと、は
ちがうの。
どっちもさみしい人には変わりないのだけど、
余分なもん取っ払って
たださみしいだけ
でいること。
さみしさを感じられないでいると
そのさみしさをカバーしたり
気をそらさせようとしたりして
あれこれ考えては、悩んだりする。
稼げない、稼ぎたい、という人がいて
でも、話をずっと聞いてると
たださみしいだけなんだって、わかった。
さみしいから、
稼いで気を紛らわしたい。
さみしいから、
稼ぐことで誰かと繋がりたい。
根源は、あまり変わりません。
どんな悩みも、どんな問題も。
その根っこにあるさみしさ、受け止めてあげましょう。
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