『やりたいこと』
って、このキーワード、ものすごく重圧感のある言葉に
最近きこえてくるようになりました。
やりいことをやろう!
とすごいひと(とか、成功しているひと)に言われると、
やりたいことをやれば、うまくいく
ように思えます。
果たしてそうなのかは、わかりません(笑)
でも、わたしが最近感じていることがあります。
それは、
『やりたいこと』というより
『やりたいかどうか考えることもなくついやってしまうこと』
が、コツコツと継続されていって、
数と回数がこなされていくうちに
それが
『やりたいこと』に変化していくのではないかな、と。
いろいろなひとを見ていてそう思うのでした。
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で、まぁ結局言いたいことは何かというと
『やりたいことがあってもなくてもいい』んじゃね?
ってことでもあるし、
それはやりたいことを見つけなくてもいいよ~投げ出してもいいよ~ということを伝えるというよりは、
『ついやってしまうこと』というものがあるので
それに注目してみてね、
ってことなんです。
例えば、ついやってしまうこと、っていうのが
《掃除》だったとしましょう。
でも、それがやりたいことかどうかなんて、わかりません。
ただ、ついやってしまうし、
やりたいことかどうかわからないけれど、
ついつい手を伸ばしたくなる感じ。
たくさんのお菓子の中で、
つい手を伸ばしちゃう好きなお菓子って感じで、
それを特別「すき」だとか「やりたいこと」だとか思っていなくても、
身体が求める的な、そういうなにかってあるとおもうんです。
で、掃除をついやってしまうひとが
それをコツコツ続けていたら
『掃除をやるプロ』みたいになるかって言われたら
それはわかりません。
でも、
日々のなかにある「ついつい手をのばしてしまうこと」
みたいな小さいことをやっていると、
どこかでパズルのピースが重なって
「あ!」
となる瞬間があるとおもうのです。
その「あ!」の瞬間って、
『やりたいことが見つかった瞬間』
かもしれないし、
『生きているという実感がわいた瞬間』
かもしれないし、
『やりたいことはなくても今、しあわせだと感じた瞬間』
かもしれない。
何かはわからないけれど、
ついやってしまうことの積み重ねは
たとえどんなことでもとても尊いものなんだろうな、っておもうんです。
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そんなわけで、ついついはじめた潜在意識のブログも、
ついつい書いていた潜在意識のおはなしも、
いつのまにか仕事になり、
いつのまにか生活の一部となり、
いつのまにかわたしの得意なことになっていた。
でも、「やりたいことなのか?」と言われれば
はっきり言うと、よくわかんないのです。
ただ、よくわかんなくていい、と思っています。
やりたいことだ!と声高らかに宣言し、
かっこつける必要はない、と思っているので
あまりそこに対して強い思い入れはないです。
まぁ、ただ今のわたしにとっての
「つい、手をのばしてしまうこと」がこれならば、
それもひとつの答えかなって。
最近はそんなことを考えていたのです。
相変わらず、体調のわるい、満月からの夏至でしたん。
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