そこに、その行為に、その意識に、心はあるのか?
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先ほどのこの記事の追記、というか補足です。
私たちの中にある価値観は、
私たちの声を借りて
他の誰かの考えを押し付けてきます。
お母さんとか
お父さんとか
おじいちゃん、おばあちゃんとか、
小学生のときの先生とか、
近所のおばちゃんとか、
そういう、いろんな人の考えや恐れを
持った、
「借り物の言葉、考え」が、価値観です。
しかし、価値観があったおかげで
成長もしました。
生きてこれました。
判断をすることも出来ました。
仕事もできました。
恋愛もできました。
友達もできました。
いいことも、あったんです。
—–
借り物の言葉や考えたちは、
私たちの中に住み着いて、
私たちに教えを説きます。
その教えが、
自分のこころ、
自分のあるがままの世界観と
一致するときがあります。
そういうときは、価値観と世界観が一致して
とても心地よいです。
しかし、
あくまでも借り物の言葉、借り物の考えです。
時と場合によっては、
自分の本音や自分の心を無視します。
借り物の言葉たちは、
論理的で倫理的でとても強い口調で
大人の主張をします。
かつて、何も知らなかった頃にそう言われてきたように、
大人になってからも、借り物の言葉たちはわたしたちが何も知らない子供であるかのように、
接してくるのです。
あれしろ、
これしろ、
あれはだめ、
これはだめ、
あんなのは恥ずかしい
こんなのは情けない
借り物の考えは、
わたしたちの中に住み着いてるので
自分の声として響きます。
それが、いわゆる、
自分責め
ってやつです。
罪悪感てやつです。
——
でも、もう一度よく考えてみてください。
借り物の言葉、考えなのです。
とりあえず、一旦、
その考え、にしておくわ。
そうやって、借りてるだけなので、
後になってから今一度、その価値観を吟味する必要が出てきます。
それが、いわゆる葛藤です。
モヤモヤするのも、
葛藤するのも、
問題のようなものが起きてしまうのも、
ぜんぶ
価値観という名の借り物の言葉、考えを
もう一度よく吟味して、
それを自分ものにするかどうか、決めましょうね、というサインなのです。
だから、うまくいかないことがあって凹んでもいいけれど、
世の中にはうまくいかないことなんてなくて、うまくいってるとかいってないとか、そもそもなくて。
あるのは、ただあるものだけ。
出来事はただ起きてるだけ。
それを歪めてしまうのは、借り物の言葉、考えなのです。
—-
わたしは、ブログや講座などで
どうあるべきか、という話はしていません。しているつもりはありません。笑
ただ、仕組みを知って欲しいのです。
そして、それによって、
各自がそれぞれで、それぞれの答えが出せるといいなぁ、なんて。
そう思うわけです。
この記事、とても大事なんで
何度も読んでみてくださいね。