オススメの過去記事 再アップです!
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わたしの名前は
秦由佳なのー!
すごいでしょー!
って。
いきなりなんだ、と思うかもしれませんが、
決してバカになったわけではありません(笑)
わたしの名前は、秦由佳です。
当たり前です。
もう疑いようのない事実です。
当たり前すぎて自分にとってはどうでもいいことです。
そういったことをすごいでしょ!?って思えるかどうか。
この記事のテーマに合わせて言うならつまり、
『やりたいことをやりたい』なら、
まずは『わたしの名前は◎◎です、すごいでしょ!!』
ってくらい思えるようになろうよってこと。
シンプルに言うなら
『自分の持つ当たり前を、徹底的にすごい、と思えるかどうか』
ここがミソだってことなんです。
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多くの人は、
自分の使命だとか運命だとかを気にして
「自分のやりたいこと」を探したり
より具体的なことで知りたいと思いますが、
その人にはその人にしか流れていない
”脈”のようなものがありましてですね。
脈というか、リズムというか、なんというか…
パズルのピースがストン、ストン、とはまっていく感じ。
自分の中に”すでに”流れているそれらがあるということを知り、
感じることができると、
やりたいこととか使命や運命と呼ばれるものは
すぐそばにある、ということに気づきます。
難しく書きましたが、話は単純。
『できることを、超たのしい!と思えるように工夫する。視点をかえる。』
そういう意識を持ってみると、
あっという間にやりたいことは目の前にやってきます。
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例えば、ビジネスが苦手な人がAさんがいたとしましょう。
その方は、自分のやりたいことをやるのに
なぜだか『独立してビジネスをしなきゃ!』と
変に意気込んでしまい、
どうしたってわからないのに
そこに首突っ込んで右往左往していました。
しかし、実はAさん。
ビジネスの作り方は全くわからないのに、
なぜか
”家事の流れ”は脳裏に浮かびます。
超一流の主婦です。
家事するのが苦ではなく、
完璧にこなすこともできます(他者から見て)
しかし、自分はそれをすごいことだと思っていません。
お金ももらったことないので
誰かに褒められたり助けになっているとも気づきません。
慣れ親しんでいるのもあるかもしれませんが、
段取りから準備、片付け、そのほかの細かい部分まで、
家事のことなら、よく見えます。
掃除、洗濯、料理、買い物、準備・・・
それらのパズルがスムーズにハマる、のです。
しかし、
ビジネス構築ってなると頭が真っ白になるようで(笑)
・・・実はこれ、実話なのです。
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このAさんは、
自分が当たり前に思い浮かべることができる
日常的な家事、というのが自分の得意なことだとも、やりたいことだとも、思っていませんでした。
そんなのは、当たり前にできる。
っていうか、
逆になんでみんな、できないの?と。
1日の流れと、行いたい家事の内容と、
全体的なスムーズさを考慮して、バランスを整えながらスケジュール立てていく。
Aさんにとって、そんなのは朝飯前!だったことですが、
”ビジネス”とか”起業・独立”とか言われると
もう、フリーズしてしまうほどの苦手意識があったんです。
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単純にね、これがいわるゆ”脈”ってことなんです。
Aさんにとっては、家事に脈があるんです。
彼女にとっては、それが当たり前に自分の中をドクドク流れているわけなんです。
わたしはというと、
写真を撮影したり、
動画の構成をイメージしたり、
デザインをしたり、
ビジネスモデルを考えたり、
メソッドを構築したり、
プロデュースしたり、
文章を書いたり、
キャッチコピーや文章を構成したりすることは、
このAさんにとって家事を遂行することと同じくらい
”朝飯前”なわけで、
つまりはわたしはこの”朝飯前”で、飯食っているわけです(笑)
↑ここ、超大事。
努力論信者の方にとって、受け入れられないことかもしれません。
なぜなら、一般社会では
”朝飯前”=”価値がない”と思われているからです。
でもそれは、
朝飯前くらい楽にできてしまう当たり前なことを、
当たり前であるからといって放置し、それを磨くことなく
放ったらかしにして手をぬいているから、
ですよね?
もともと備わっている
”そんなの朝飯前だぜ”的なことを、
当たり前にできることだといって放置せず、
もっと工夫してみたり、
もっと磨いてみたり、
もっと楽しんでみたり、
という試行錯誤をしたら、
その”朝飯前”はもともと素晴らしいクオリティでできることなのだから、
さらにすごいことになる、と思いませんか??
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あなたには、あなただけにしかできないことがある。
そう言われると何やら神秘的で
何やら呆然とわけもわからない何かを信じているような
不安定さを感じるかもしれませんが。
あえてわたしの言葉でいうなら
『あなたには、あなたにしかできない当たり前の作業をさらに磨く余地がある』ってこと。
当たり前を磨いた先に待つ喜び、
ってのは一度、体験すると感動しますよ。
「あぁ、わたしはこのままでいて、それでこそすごいんだ」
ってことがドスン、とやってきます。
これねー。
気付くまではあっちこっち、右往左往するんです。
わたし何がやりたいの?って。
わたしに何ができるの?って。
わたしは何をやったらうまくいくの?って。
どうせ、わたしなんて。
どうせ、わたしにできることなんて。
どうせ、価値なんてない。
そうやって、嘆き、さまよい、探しながら逃げ、そして
あたかも見つけた!とでも言わんばかりに自分の使命を声高らかに叫んでみる(そして突然辞めたりする。)
当たり前にできること、
自分にとって当たり前にわかること、わかってしまうこと、
普通にできちゃうこと、難なくクリアできてしまうこと、
それらを、
『めっちゃすごい!!!』
と思えるようになるためには、
自分自身を見つめる角度、を変えなければいけませんし、
自分の中にある
「そんな、普通でいちゃダメだし、ありのままじゃなくて
もっと別のすごいあの人やこの人のようにならなきゃ!」
みたいな変な思い込みを取っ払わないといけないし、
まぁ、それはそれは
自分を見つめることとなるのではありますが、
とにかくポイントはこれです。
わたしの名前は
秦由佳なのー!
すごいでしょー!
って。
ほら、さんはいっ。
わたしの名前は
◎◎なのー!!すごいでしょ!
って。
そうやって言う。
思ってなくても言う。
当たり前なことをすごいことにしてしまう。
普通にできてしまうことを、すんごいことにでっちあげる。
そんくらい、ハメ外していかんと、ですね。
さぁ、自分の名前を
声高らかに叫びましょう。
すごいやろーヾ(@°▽°@)ノ
ってね。
(ドローンで上空から撮影したヨリーンアム渓谷@モンゴル)
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余談ですが、この前うちは相方のとあるひとことにキレましてですね(半分スネていたのですが)
まぁ、内容はご想像にお任せしますが。
付き合いが長くなってマンネリしてしまう夫婦やカップルって、いますよね。
ええ、たくさんいると思うんですよね。
うちなんかも、はじめからそれほど初々しさはなかったし
付き合ってもう10年くらいですかーという感じに慣れ親しんでいた関係だったので
仲はとても良いほうだと思うのですが
それでも毎日一緒にいると、お互いの存在がなんとなく、
ぼんやりと、してくるわけで。
いわゆる、いてもいなくてもあまり変わらない、的な。
当たり前になりすぎてしまう、的な。
でも、それも工夫次第というか。
誰かにドキドキしたり、きゅんきゅんしたりするのって
結局は自動的にそうなりますようにーって待っているだけじゃやってこなくて。
誰かに対して、初々しい気持ちでいることって、
当たり前の関係性の中に、新鮮さを見出す視点がないとできないと思うんです。
わたしは、
「努力」というのではなく
「創意工夫」という方から考えるようにしていて。
それはまるで、石ころで遊ぶような感じ。
1枚の紙で、オリガミしたり、紙飛行機飛ばしたりする感じ。
例えば、相手のどこが好きなのか。きゅんとしたのはいつ、どこで、どんな時なのか。
いつでも取り出せるように、とポケットの浅いところにしまい込んでいるのです。
(たまに、上から物つっこんで下の方に入ってしまうこともありますが。笑)
もらった手紙とかも、読めるところにおいてあったり(恥ずかし。。。)
そういったちょっとの工夫が積み重なって、
やがて簡単には崩れない大きな楽しみや喜びに変わると思っているのです。
ってことを
奴に言ってやろうかと思ったのですが忘れてしまったので
ここに書いていつか読ませようと思います。(笑)
まぁ、そういうことは全部わかっている人なので言う必要はないのですがね。(・ε・)
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