もうすぐ冬至なので、
去年の反響記事を再アップ!
今はこういう時期ですよー^_^
???????????????
12月21日は冬至でした。
1年のうち、もっとも陰が極まり、この日を境に陽に転じます。
2017年3月20日の春分の日に
陰陽が完全にひっくり返り、季節ともども陽気な時期に突入します。
冬至や夏至、というのは『極』のとき。
簡単に言ってしまえばお山の頂点にいる、という感じですかね。
(春分や秋分はその代わり、山の谷間のような感じで
よし、次の山だぞ!みたいな感じでしょうか。)
せっかく四季がはっきりしている日本にいるわけですから、
こういったものも楽しんでいきたいなと思いつつ・・・
陰極まって陽に転ずる。
これがどういう感じなのか、今日はそれについてお話ししたいと思います。
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陰が極まって陽に転ずるとき、実は陰と陽は明確に離れておらず、もっとも近しいところにある、と言えます。
陰陽の関係が極にある時、そのふたつはとてもちかくにいる、と表現してもいいかもしれません。
よくあるこの図を利用するとこんな感じですね。
ピンクのところと黄色のところを比べてみてください。
黄色のところは真っ黒ですね。(陰だらけ)
ピンクのところは、白が入ってきました。(陽が入ってきた)
この図のピンクの部分が「冬至」であり(ほんとはもうちょっと右あたりだけど)
陰が極まって陽に転ずる、という部分です。
このとき、白い部分と黒い部分が隣接しているの、わかりますでしょうか。
このような極の状態のとき、相反するものが隣接し、互いにくっきりとその存在の違いを証明し合います。
それと同時に、同じ存在であることも強く感じます。
・・・ってなんのこっちゃわからーん!!!
という人もいる気がするので(笑)
もう少し噛み砕いて説明しますね。
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例えば、自分と他人であるAさんがいたとしましょう。
Aさんと自分は、全くの他人であり、性質も正反対であり、価値観や考えていることも正反対である、とします。
ここで、
自分??陰
Aさん??陽
という風にわけたとします。
普段は陰と陽は別々にわかれているのですが、冬至の時期というのは、陰と陽が近づいて、さらに出会うわけです。
今まで自分は自分、AさんはAさん、だと思ってしっかり分けていた存在が、
なんとなく近づいて、互いが混ざり合って行くような感じになります。
で・・・
当然、Aさんは自分とは正反対の性質を持っていますから、気持ち悪いですよね。
うげ!!おえ!!
近づいてくんな!!
と思うかもしれません。
綺麗好きな人に、汚らしい人が近づくようなものです。
しっかり者に、怠け者が近づくようなものです。
愛されている者に、愛されていない者が近づくわけです。
このときに、2種類の反応がおきます。
反発(陽)
受容(陰)
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ここで、先ほど書いたこの一節を思い出してみてください。
このような極の状態のとき、相反するものが隣接し、互いにくっきりとその存在の違いを証明し合います。
それと同時に、同じ存在であることも強く感じます。
自分とは正反対の性質のAさんが自分に近づくことによって、まずは互いの違いをはっきりと認識します。
最初は反発がおきますが、Aさんはずっと近くにいます。
どんどん近づいてくるわけです。
そして、しまいには自分と重なってしまいそうになるわけです。
反発をするにはするのですが、
次第に受容へと変わっていきます。
このときの受容というのは
”違いを認める”ことであり、自分とAさんの両方の存在をはっきり認識し、違いをはっきりと感じ取り、その上で両方を受容していく、という感じ。
しかし、自分は自分。AさんはAさんですよね。
はっきりと違うわけです。違いが明確であり、明らかであり、その違いそのものを受容する、という流れなわけです。
わたしたちは、誰もが今、この流れの中にいます。
自分と他人Aさんを例に出しましたが、これが自分の中で起こるわけです。
★ネガティブな性質とポジティブな性質
★純粋な気持ちと腹黒い気持ち
★自信と不信
★好きと嫌い
★やりたいとやりたくない
★いいと悪い
★思っている、と思っていない
など…
相反する気持ちや感情、価値観や性質、というものが交差し合い、それぞれの違いをはっきりと明確にするような流れ、というのがこの冬至の時期なんですね。
例えば自分の中に◎◎が好きだ!という気持ちもあるとしましょう。
比率的にすると、
80%好き 20%嫌い
だったとします。
好きと嫌いは相反する気持ちですから、普段は80%好きのほうを強く意識し、20%の嫌いという気持ちが隠れています。
これが
50%好き 50%嫌い
になっていく。
好きだと思っていたものが、あれ?嫌いかも?となったり、嫌いだと思っていたものがあれ?好きかも?となったり。
いいと思っていたことが、あれ?よくないかも?と思ったり、
悪いと思っていたことが、あれ?いいかも?と思ったり。
良くも悪くも、自分の中にある相反する認識がすべて露呈され、知覚されます。
まぁ・・・
ややパニックになりますよね!
普段から
『わたしは絶対にこういう人!』
『おれはこうだ!』
『わたしはこう感じているのよ!』
『わたしはこういうのがやりたいの!』
『自分にはできっこない』
『絶対に~~である』
と頑なになりすぎている場合は、この時期にダメージをくらいます(笑)
相反するものを無意識に排除しすぎていると、この時期は心も身体もびっくり。
なぜなら、
正反対(だと勝手に思っていた)ものが出会い、隣り合わせになり、違いをはっきりと示され、そのうえで両方とも受容するように!
・・・という時期だからです。
あひゃー( °∀° )/
逆に今の時期というのは
・自分が考えていることが、いったりきたりで落ち着かない
・あんなに決心していたのに、気持ちが変わってきた
・やりたいと思っていたのにわからなくなった
・何が好きなのか曖昧になってきた
・自分が掴めないような感じがする
・なんとなく躁鬱である
という方も多いのではないでしょうか。
しょうがないですよね。
だって、
陰と陽が隣り合わせに
「わぁ、こんなにも違うんだね~」みたいなやりとりをしていてですね、人間の自我にとってはカオスな状況なのですから。
陰が極まって陽に転ずる。
かっこいい感じがしますが、結構カオスなことが起きているんですよね。
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とはいえ、
ほんとうの受容や統合、というのはこのときにこそ、起こります。
普段わたしたちが何かを”受け入れよう”としているときとは、性質が違う”受容”がここで起こるわけです。
例えば、普段なら自分と考えが違う人がいたとしても
「ま、そういう人もいるよね」
「ま、そういう考えもあるよね」
という感じに、
自分のことを受容し、相手のことも一応、受容している感じではあるのですが、その間には明確な線引き、というか距離、というものがあります。
一般的な人であれば、自分とは違う性質や自分とは違う生き物、考え方などに接したとき、それを認めることができつつも距離をおくわけです。
近づこう、っていう変態はごく稀(笑)
興味本位で近づいても、本心はどこか冷静に相手との間に距離をおいていますよね。
が、しかし。
このときに起こる受容というのは、そのような感じではなく。
自分と自分でないもの
あるいは、
自分の中にある相反する気持ち(正反対の気持ち)
が同じくらいの大きさで、同じような性質で、同じ存在で、かつとてもちかいところにある・・・
みたいに、
めちゃくちゃなその混沌とした状態
そのもの
を受容する。
その形を受容する。
相反することを受け入れる。
違いをはっきりと明確にし、その違いが隣接していることを認める。
つまりは
自分のカオスさ混沌さ、
本質的な自分の中にある”自由さ”
さえも受け入れていく、ということなんです。
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自我はこれを嫌がります。
白黒はっきりさせたいのが人間の脳ミソです。
違いがはっきり明確にあったうえで
”どちらも”ではなく
”どちらか”を選ぼうとする。
そうやって思考は安全でいようとするわけです。
頭にとって、混沌であること。カオスであること。
壮大な自由を持っていることは、恐怖であり、
本質的にすべての人が持っている”自由”さというのは、思考にとって脅威的な存在なのです。
どちらでもあるし、どちらでもないし、どちらでもよい。
このような自由さが顔を出すのが、
陰と陽がちかづいて出会う、この冬至の時期だということなのです。
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もちろん、ずっと続くわけではありません。
この図をみてみましょうか。
ピンクの丸が完全に白ゾーンにいきましたね。
この時点で、陰と陽は再び離れていきます。
この状態から
この状態へ。
これが、冬至から大体3月くらいまでの動きです。
冬至を過ぎてからはだんだん陰と陽が離れていくのですから、ここからは思考が働きやすい、というか選択しやすいような時期に入ります。
しかし、この時期の選択は、
今の時期の受容によって変わっていきます。
そこで、今頃の時期から来年の3月頭くらいまで意識しておくとよいことを書いておきますね。
◎何が出てきても「へぇ~」と受け流すくらいの気持ちでいること。
◎正反対の考えや感情、感覚が生まれたら、あえてどちらも選択しない。
◎何かを決める時は、決めるのはあくまでも”今の自分”のためであり、変更可能であることを許可する。
◎どんな自分であろうかと決意する必要はなく、変化する自分とともにいること。
これらを意識していると、自然と2月末とか3月頭くらいには未来のことも、自分に対するはっきりとした感覚も明瞭になります。
今はとにかくカオス!だと思って過ごしてみてくださいね。
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