今年1月に書いた記事を再アップ!
今の時期よむといいかも。
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えー、今日はですねちょっと
小難しいような、
わかりやすいような、
それ言っちゃったらおしまいじゃん!のような、
わからないような話をしたいと思うのですが、
この記事の一番のテーマはこちら。
『自己肯定も自己否定も別にしなくてもいいんじゃないか』とわたしが想うわけ。
ー自信はいるのか?ー
ではさっそくいきましょうー!
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まずこの図をみてください。
0の状態を100%とここでは表記します。
※解説するためにそうやって表現するだけです。
そうなると、必然的に
0より+は101%~
-は~99%とします。
さて、その上でこう捉えてみてください。
絶対的な世界と相対的な世界があります。
先日ある方よりお聞きした話の中で、絶対ということばは
”対を絶する”というような意味であると教えてもらいました。
つまり、絶対的な世界というのは
対(違いや、境目)のない世界です。
1でも-1でもない、+でも-でもない、0の世界。
一方で、相対的な世界というのはその反対ですね。
+と-があり、相反するものであり、白と黒であり、
良いと悪い、の世界。
二元論の世界です。
では、これらの内容を前提とした上で、こうイメージして欲しいのです。
ありのままがすでに100%である、と。
ここでは100%=0なので、そう捉えてもよいです。
わたしたちは、あるがままですでに100%です。
良いも悪いもない、+も-もない。
0なんです。
それは絶対的な世界。
あるがまま=0=絶対的な世界=わたしたち
まずはそうやってイメージしてみましょう。
しかし、かといってそうであっても
わたしたちは肉体を持っていますよね。
この世に生まれてきた証的な代表は”身体”です。
肉体によって、わたしたちは0の世界から1の世界、つまり
絶対的な世界から、相対的な世界へと飛び出します。
※ん?と意味がわからなくなっても考えすぎず、読み進めてください。笑
しかし、あるがままでいて0であり
100%であり絶対的なわたしたちは、
肉体を持ち、脳というプログラムを持ち、
1の相対的な世界を生きます。
ここにまずそもそもの矛盾が生じます。
0のわたしたちが1の世界を生きる。
というより、0のわたしたちは0でありながらも1を創造し続けている。
なんのこっちゃ
( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚
ワカラネェ!
となった人は単純に
”あるがまま(0)でいたらいいのに、そうではないのだと勘違いして
妄想や架空の物語(1)を創造し続けている”
ってことなんだね!と捉えてくださいませ(笑)
さて、話は続きます。
こちらの図をご覧ください。
内側と外側でひとつ、と表現していますね。
この図の場合、内側(人の中)が+になって150%になっているから、
それを打ち消すようにして-50%が現れ、
全体で100%になるよう、調整しているわけです。
いわゆる波動の話とか引き寄せとかのワナ
(っちゅーか、優しくないところ)はここですね。
すぐにプラスを求めたがる。
でも、すべては100%(0)の絶対的な愛の元、調和が保たれているのですから
プラスであれば良いとかマイナスであればダメとかは、勘違いなのです。
(その勘違いをするのが脳であり、
その勘違いがあるから、物事は進化や変化、
創造をしていくのですがね。)
ではここからいよいよ今日の本題
『自己肯定も自己否定も別にしなくてもいいという話ー自信は必要なのか。ー』
に突入したいと思います。
さて、先ほどの図をもう一度。
この図の通りで考えると、逆のことも起き得ますよね。
内側→ -20%(つまり80%)
外側→ +20%(つまり120%)
これでバランスをとって、100%(0)に保つ力が働きます。
そうするとですね今度は・・・
って感じになるわけです。
上の人は、自分の内側が過剰なので、外側に不足をうみます。
下の人は、自分の内側が不足なので、外側に過剰をうみます。
※プラスとマイナスで表現しているので、
マイナス=悪
プラス=善
だと思い込みすぎないように!!!
磁石のS極とN極のようなものです。
上の人は、あえて名前をつけるなら
自己愛(自己肯定)過剰タイプ
下の人は
自己愛(自己肯定)不足タイプ
よく、自己肯定力が高いが低いか、と言われていますが、高いとか低いとかより
”ちょうどいい”
これが大切だとは思うのですが、まぁこれは個人の好みですね。
もう一度この図をば。
さて、それぞれのタイプがどういう感じなのか?
ちょっと解説しましょう。
まず、自己愛(肯定)過多タイプ。
内側プラスなのですが、それも100%ではないので
ありのままではないということになります。
どこか無理して明るく振る舞うとか、
いい気分になろうとがんばるとか、
ポジティブな感情だけ感じて
ネガティブな感情はスルーしてしまう癖がついていたりとか。
こういう状態のとき、バランスをとるため、
内側で生まれた過剰なプラスを打ち消そうと
外側にマイナスが生まれます。
不足が発生する
足りないが生まれる
本当に足りなくなる
(人がいなくなる、お金がいなくなる、物がなくなる)
本当にお金がなくなるひとは
自己愛が過多なんです、実は(プライドが高いとも言える)
自己否定しているというわけではなく、
自己愛が未熟の過多タイプ
※
「えーそれはいやだ!」と
ここで変に反応しないでいいです。
この話をすると必ず嫌がる人がいます(笑)
不足や足りないが生まれるや、お金がないなどは
ただ起きていることですから、
そうシンプルに捉えてみましょう。
では、もうひとつのタイプは?
こんな感じ。
内側がマイナスなので、外側にプラスがうまれて100%に整えようとします。
自分を無意味に下げたり、
足りない感を持ったり。
日常は平和だし、物資にも満たされているし、お金もあるけれど
心が満たされない・・・!
はこちらですね。
この場合は自己愛が未熟の不足タイプ。
控えめで堅実で謙虚ですが、
それも度を超えるとただのアンバランス。
※
この場合も、単純に内側と外側の0に合わせようとする
チューニング機能が発生しているだけなので、
「わたしがいけないんだ」とか言って
自分を責めないでくださいね!
だから、口うるさくいいますが、
ここなんです、ここ!
ゲームを楽しみたい場合は、
こういうのを楽しんでいたらいいです!
というか、楽しむしかないでしょう!
でも、基本的には
なのです。
さらに言うなら、
なので、自分の気質や元々のタイプ、性質などを知って
内側と外側のバランスをとれると、
”ちょうどいい”となります。
自分を知る大切さは、ここに凝縮されます。
知ることでバランスが取れる。それだけ。
(知ることで成功する!とかよりも)
内側と外側のギャップが大きいと、
たとえ内側が満ち溢れていても、どこか外側が足りない
(もしくは、この人たちはどうしてこうなんだろう・・・とマイナスな人がくる)
たとえ外側が満ち溢れていても、どこか内側が足りない
(常に不足感、どれだけお金を稼いでも物を買っても満たされない)
ということになります。
まぁ、でもこのギャップを楽しむのが
ゲームを楽しむってことだとも思うのです。
それに、常に100%(0)でい続けることはできないですから・・・。
ここが激しく矛盾なのですよね。
0でいたらいいのに、
0でいるためには、1が必要である。
この超矛盾、この超矛盾こそが、
絶対的な愛
なのですが・・・その話の前に!
別の角度から今までの話をそうまとめすると
こんな感じです。
この図はわたしが潜在意識の講義などで
いつも話していたことです。
エルムプログラムでもこのような話をしますし、
体感をしてもらってます。
わたしたちは、わたしたちの着ている服ではありませんよね。
しかし、すっぽんぽんで街は歩きませんから、
家とかお風呂にいるとき以外は基本的に
洋服とかアクセサリーとかをつけて生活しています。
そのうち、服を着ている自分こそが
本当の自分であると勘違いしだします。
”価値観の声”は本音ではないんです。
洋服の声だから。
女性っぽいラインの出ているドレスを着たら
大股では歩けません。笑
しかし、着ている人間そのものは変わりませんよね。
脱げばいいのですから。
でも、服を着ると、その服やアクセサリーによって
自分が少し変わります。
ビシッとスーツを着れば
シャキっとします。
パジャマを着れば、だらーんとなります。
これと同じで、価値観によってわたしたちは変わります。
考え方も感じ方も変わります。
しかし、嫌なら脱げばいいのですよね。(2回目)
すっぽんぽんの”わたし”は、あるがまま
100%生搾りオレンジ的な感じ。
添加物なし、産地直送とれたてジューシー!
(スンマセン、過剰表現w)
これを、世界観と表現したり、100%とか0とか、あるいは絶対的な世界と言ったりします。
そのかわり、洋服やアクセサリーというのは
あるがままの自分が着飾るもの。
だから、自分が着ていて(持っていて)
自分が魅力的にならない服(価値観・ルール・思い込み)
は脱げばいいし、捨てればいい。
脱げますよね?服。(3回目)
そうなんです、価値観っていうのはほんとうは脱げるはずなのに、
いっちばーんしたのほうに肌着として
お父さんやお母さんが買ってくれたピッチピッチの服を
未だに着ているってことが、あるんです。
『これは・・・お父ちゃんが買ってくれた服だから脱げないの・・・』
って、んなことあるかぁー!!!!!
(@ ̄Д ̄@;)
と、そんな話もあるのですがこれはまた別記事で書きますね。
とにかく!
ムリヤリ戻す
基本的に、この二つがセットでひとつになっているってのは矛盾なんです。
でも、この矛盾があるおかげで、すべては調和しているのです。
相反するものが相反しているから調和している、という矛盾。
図にするとこのような感じ。
あぁ、もうここまでくると
頭がグルグルするわ・・・という方のためにこの記事をまとめると・・・
この世は常に矛盾している。
常に混沌としている。
しかし、混沌と矛盾により調和が保たれている。
この図のように
すべて100%に集約され、
0に包括されている。
すべての矛盾や反調和、相対性や二元論は、
絶対的な愛に包括されている。
だから、あなたがどれだけ
矛盾していようと
どれだけ不調和でいようと
どれだけいい人でいたいのに悪いことをしてようと
どれだけこういうことをしたいのにできないでいようと
どれだけいいパパママでいたくてもそうじゃなかろうと
どれだけいい子どもでいたくてもできなかろうと
どれだけ偉そうにしてても小心者であろうと
どれだけ理解してても分かっていなかろうと
どれだけ……(あとはお好みで矛盾アレンジしてください)
すべて絶対的な愛に飽和されており、
そのままですでに調和している
安心し、そこにゆだねよ
なのであーる。
別の記事でわたしは、
自己愛は誰もが持っている。
大いなる自己愛に生かされている。
しかし、それが未熟か成熟か、の違いである。
と書きましたが、
この記事に合わせて言うならば、
自己愛の成熟=自己愛が過剰でも不足でもなく、100%の状態
無理に自分を愛そうとがんばる必要もなければ
自分を愛しすぎてしまう必要もない
ということ。
バランスは
常に整えられている。
絶対的な愛には、人間の価値観(勘違い)がうむような
良いとか悪いとか、
すてきだとかひどいだとか、
プラスとかマイナスとか、ない。
良いも悪いも、すてきもひどいも、プラスもマイナスも、
すでに絶対的な愛の中に包括されおり、
その絶対的な愛の元、
常に矛盾したものたち(カオスな要素たち)が
調和を保たれて、存在している。
結論。
ふつうにいきよ。
以上!
思った以上に小難しい話になってしまったので
オチは簡潔にさせていただきました。
お読みいただきありがとうございました!
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