今日配信したハタユカラボのレポート
「引き寄せの法則と願望達成の法則の違い」の中に書いた
ある一節をみなさんにもご紹介したいので
シェアしますね。
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まずは、自分には欠けているところがあり、
不完璧な人間であり、矛盾しており、
混沌としており、できないことがあり、
ダメなところがあり、持っていないものがある、
という事実に気づき、そして受け入れていきます。
あるがままの自分にOKをすること、
そしてOKをしてもいいということにまずは気づき続けてください。
その気づきの最中で、
自分の中に結果に対する執着が消えていくことがあるでしょう。
それにも気づき続けます。
その上で、自分の内なるエネルギーに集中していきます。
心や身体があるということ、
肉体があるということ、
つながりがあるということ、
家があるということ、
ことばを持っているということ、
など、なんでも構いません。
あなたがあなたであるということを、
構成しているすべての要素に想いを馳せてみてください。
自分が自分であることがどれだけ力強いことなのでしょう。
自分がいる、ということ、自分は存在している、
ということだけで、
それだけのエネルギーを持っていることでしょう。
そのパワーのすごさ、
存在がもともと持っている
エネルギーそのものに気づいていきます。
あるがままの自分がどんなであれ、
存在そのものが持っている
ピュアなエネルギーに触れ続けていると、
自分の中から力強い感覚が芽生えてきます。
その感覚やフィーリングに集中し続けます。
集中し続けていると、自分の内側から、
自分がすべての結果に求めている
一番の根源的喜びに出会います。
その根源的喜びに出会い続けるということを
日常の中で繰り返していることによって、
次々に自分の中に結果が飛び込んでくるでしょう。
あ、これね。あ、ここね。あ、それね。あ、こうね。
そうやってどんどん、
自分の存在そのものが求めているエネルギーに、
今最も近い現実がイメージやヴィジョンとしてやってきます。
それはごく小さいものです。
カフェにいきたいとか、
あのお店に行きたいとか、
これをやりたいとか、
あれが欲しいとか。
そのようにやってきた現実が、
どのようなものであり、
どのような効果を持つものなのかを考える必要はなく、
ただ素直にそれを達成しようと行動してみます。
その行動によって得たすべての結果は、
自分の想像を超えるようなものであるはずです。
そして、それらを受け取ることで、
さらにエネルギーは充満していくのです。
^^^^^^抜粋ここまで^^^^^^
みなさんはこれを読んで、どう感じますか??
どんな感覚がするかなぁ。
肝心な内容は公開できないので
わからん!という方もいると思うのですが(笑)
わたしは、この仕事をまだ始めるとも決めきれていない、
なんとも言えないときに、自分の発信していくテーマを
”願望達成”にしました。
ちょうど引き寄せの法則が流行りだした時期でした。
自分にとってベスト3の中にも入る体験を
その頃ちょうど終えたばかりで疲れきっていました。
ぶち当たっていた壁は、
”人はどうして、自分の願いを叶えることができないのだろう”
夢や希望でつながっていた仲間たちが、
ふたたび夢や希望によって引き裂かれていった。
自他共に、
自分の願いを諦めてしまうということに
なんとなく呆然と焦りを抱き、
かなり考え込みました。
そして、かなり研究しました。
どうせならマスターしよう!
どうせなら、仕組みを知りたい!
そうやって思っていろいろな試行錯誤を続けた結果に、
今、という時があります。
だからわたしにとって、
願望達成、というのはひとつの原点であり、
このテーマの中には
実にいろんな想いが含まれています。
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さて、願望達成とか
潜在意識とか
引き寄せの法則とか聞くと、
割とそういったものにたいして
オカルトチックな印象を抱く人は
また自己啓発だ、とか
スピリチュアルは地に足がついとらん、とか
あやしくてようわからん、と
思ったり、言ったり、
ときには嫌そうな顔して
”お金儲けのためにやっているんでしょ”
とか表情で伝えてきます。
今はそういうもんに対してどうでもよくなったのですが、
わたしは引き寄せの法則や願望達成や
潜在意識の仕組みを伝えるのは
決して人々の幸せでも成功のためでもありません。
すんませんが、実はどうでもよいと思っています(笑)
なぜなら、
わたしがそれらを探求して最終的に得た答えはすべて
”生きている”に通じるものだったからです。
引き寄せで幸せに、
願望達成で成功、
潜在意識で成功する!
聞こえはよいですし、
別に何か間違えているわけではないのですが、
そんなことなんてちっせーアリンコくらいのレベルだなって思えるほど、
潜在意識を探求していくことは、
わたしにとってかけがえのない、
”わたしは生きている”という
くつがえすことのできない事実に触れさせるものでした。
なんやかんや難しく書きましたが、
結局言いたいことは
”生きている”というだけで
すごい、ってこと。
それは、生かされていることに感謝しようぜーとか
生きていることに感謝しようぜーとか
そういうのじゃない。笑
そういうのは、
”生きている”というそのものの事実、
そして”生きている”というそのありのままのもつ
純粋なエネルギーに触れたときに、
勝手に各々が感じること。
感謝なんてのはするもんじゃなくて沸き起こるもんだから
しようっていうのも、そもそもいらない。
わたしがこの一節を書き、
そして願望達成をテーマにして仕組みを解説し、
毎日バカみたいに潜在意識のことについて考えているのは、
それらの智慧、仕組み、成り立ちなどが
”生きている”という純粋無垢なエネルギーに触れさせてくれるからだと思っているのです。
いる、ってすごいことだと思いませんか。
物事を正確に捉えることはできず、
常に解釈と選択の繰り返しをし続ける人間。
何かを歪めて生きているわたしたちだけど、
歪みが生まれることによって
さまざまなドラマが生まれるってすごいことですよね。
舞台があるからその上で踊れるわけで。
わたしたちはすでに、
”生きている”という舞台に立っているんですよね。
別に生きている人がすごくて
死んでいる人がすごくないとかそういう話じゃないのですが、
それでもやはり、
”生きている”という純粋無垢な事実によってうまれている
すべてのこと
そう、すべてのことは
とても力強い土台・舞台の上で成り立っているということだと
わたしは思うのです。
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ベースとなっている”生きている”がわかりにくい人は、
”存在”だと置き換えてみてください。
存在はどこにもいきません。
存在は常に今ここにあります。
存在は何も語りませんが、
存在はすべての生みの親です。
存在って、すごいなぁ、と。
で、わたしという人間は、この存在というベースに
「はたゆか」というラベルを貼った生き物です。
「はたゆか」というラベルを貼られた生き物は、
”わたし”という自覚を持つようになり、
やがて、存在と一体化して
存在は”わたし”となります。
もともとの存在は
ラベルなどつけられていない純粋無垢なものですが、
ラベルがつくことによって、
そのラベルに必要な情報が集められるようになります。
ちょうど、書類を整理するときなどと似ていますよね。
同じようなボックスを何個もならべて、
その箱の上にラベルをはる。
そして、そのラベルに合わせて
中身を入れていく。
存在、というものと
「はたゆか」というものはそういう関係。
だから、わたしは自分の中に入っている
”後からのもの”を
すこしずつ、すこしずつ、ゆっくりと整理しながら
取り出していく。
捨てるわけではなく、
書類を整理した箱の中から、
一枚一枚、取り出していく作業。
やがて箱は0になるでしょう。空になります。
そして、最後のラベルも外す。
そうすると、
ラベルのはがされた箱は
何も入っていませんが、
入るスペースは100%フルオープンとなります。
ラベルも新たにつけることができます。
究極に今、箱は自由なわけです。
そしてまた、箱にラベルをつけていき、
その中にものを入れていく。
中に入っているものは取り出したりできるけれど、
箱は箱のまま。
その箱という存在が、もともとそのままで
すばらしい。
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今日はいいことがあったなーとか
明日はどんな日にしようかなーとか
あの人が嫌いだとか
この人は好きだとか
あれがこわい
これが不安
あれがほしい
これはいらないとか
そういう小さな小さな
誕生してはすぐ消えてしまうようなちょっとしたことばや気持ちなんていうのも、
常に、
”生きている”という舞台の上で踊っている。
”存在”という箱の中で、安心安全にね。
今、わたしも、あなたも、生きている。
感じることがあり、
ことばを読む力があり、
心がうごくときがあり、
そして涙を流したり
大声で笑ったり、
どんなときであっても、
常に”生きている”というベースがあってのこと。
だから、”存在している”ってすごいことなんだよなー
大元なんだよなーって
わたしは今日、つよくふかく、
再び自分の中に何かが刻まれたのを感じたのです。
それの、ちょっとした、おすそわけ。
さぁ、週末は何をしようかね。