2017年の過去記事です!
^^^^^^^^^^^^^^^
誰かに嫌われたくないって気持ち、どんな人の中にもありますよね。
嫌われたくない、というより
”批判されたくない”という感じでしょうか。
自分の悪いところやダメなところを
突かれたくない、言われたくない、怒られたくない、拒否されたくない。
”嫌われたくない”そのこころ、
噛み砕いてよくよく見てみると、
実に多種多様な”嫌われたくない”が存在していることがわかります。
嫌われたくない、に限らずですが
こころの感情や動きの中で
不思議だなぁ、どうなっているんだろうなぁ、と思ったものを
噛み砕いて細かくして
ひとつひとつの粒を確認するようなクセが、
わたしにはあります。
そのようなクセのおかげで、
こころの動きや感情の成り立ち、仕組みなんかに敏感になり、
結果的にそれは自分の感情と仲良くなるきっかけにもなりました。
さぁて、嫌われたくない。
噛み砕くとどんな粒によって構成されているのでしょうか?
^^^^^
まず、嫌われたくないという気持ちの
大元にはなにがあるか。
それは、
”わたしは嫌われたことがある”
という前提です。
な、なにを当たり前のこと言ってんだ!
とおもうかもしれません。
しかし、この大元にある前提が実は一番重要な部分です。
みなさんは、嫌われたことありますか?
(まぁ、あります、となりますよね)
思い出せる限り一番ふるい
「あ、わたし嫌われたな(嫌われているんだな)」
と思った体験や経験は、どのようなものでしょうか?
嫌われたくないこころには、
嫌われたくないというよりも、
”再現したくない過去”があるんですよね。
もっと言うならば、
”あ、わたし嫌われたわ”とその時に思った自分自身が
まだ、自分自身に嫌われている。
ん・・・?どういうこと?と思うかもしれません。
つまりですね。
^^^^^
大元にある”誰かに嫌われた”は、
他者であることが普通かと思われます。
しかし、違うのです。
大元にあるのは
”一番最初に自分で自分を嫌った”
その瞬間、その体験、そのものなのです。
だからわたしたちは、触れたくないのです。
自分が嫌った自分の姿を思い出したくない。
自分が大嫌いな自分に触れたくない。
自分が醜いと決めてしまった自分の行為を知りたくないし見たくない。
わたしたちが”他人”に嫌われたくないと思うのは、
人の目を通して、
自分で自分を嫌いだと思ったそのときのことを、
思い出してしまうから。
^^^^^
ということは!
仲直りのチャンスですね、いつだって。
嫌われたくない!と思ったときほど、
自分が自分の大嫌いな部分を見たくない!と思っているとき。
情けない!と思っている自分や、
頼りない、ダメだ!と思っている自分のこと、
他人にまで言われてしまったら
もうどうしようもないから
という感じで、ビビっているわけ
どうせわかっているから
人にまで言われたくない
どうせ知っているから
人にまで嫌われたくない
ってなっているのです。
かわいいね、自分
^^^^^
じゃあそれがわかったらどうするのか。
自分で自分を嫌っていることに気づいて欲しいというよりは、
”自分で自分を嫌っている要素を
好きだと思えるようになること
そのものを諦めてしまっている”
わけ。
諦めてしまっている
ここがとても重要なポイントです。
だから、
好きになろうなろうとがんばったり、
許そう許そうとがんばったりするよりも、
まずは、
”諦めちゃった自分をヨシヨシしてあげよう”
ってこと。
自分が嫌いな自分がいて
それを好きになることを諦めちゃった(ちゃっている)
今の自分を、
ヨシヨシ、ナデナデ。
してあげてくださいね。
まずはそこからです