自分の存在価値を確かめるために、
やっているすべてのことをやめてみる。
それは自分に対しての
とってもやさしい贈りもの。
もう、確認しなくてもいいよ、って。
もう、なんの証明もいらないよって。
望まれて生まれてきたのか
生きていていいのか
自分は価値があるのか
愛されているのだろうか
その確認はすべて
”わたしは、生きていてもいいのか”に繋がっている。
でも、今生きているということがすべてなのだから。
確認しなくても、本当は答えはすでにでている。
だけど人は、
生きているという事実そのものよりも
もっとたくさんの答えが欲しい。
多くの人の言葉が欲しい。
たくさんの称賛があれば、
自分はここにいてもいいって
そう思える、と。
そして、
生きている自分を無視して
誰かの声に耳を傾け
誰かの目線に気を配り
誰かの気持ちに自分ごともっていかれてしまう。
もう、やめていいよって、言ってしまえばいい。
確認しなくていいよって
証明しなくていいよって
わたしが素晴らしいのかどうか、
価値があるのかどうか
人の役に立てるのかどうか
誰かに必要とされているのかどうか・・・
そのものさしで自分を計ろうとするのは、
もうやめちゃおうよって。
”その”ものさしって書いたけど、
どのものさしでも測るのを
そもそもやめてしまうの。
自分を計ろうとすることさえ、やめるの。
何かを計ろうとすることさえ、やめるの。
そのときはじめて、”共存”が始まる。
ものさしを捨てた時に、
はじめて人と人は、
自分と自分は、
もっとも素の状態でいられる。
そうすると、息をするのがすっごくラクになる。
誰かと比べなくてもいいんじゃなくって
本当は何とも比べられないってことを
受け入れるしかないって。
だから、
自分には価値があるのかどうか
愛されているのかどうか
守られているのかどうか
必要とされているのかどうか
という
確認のためにやっていることを
ちょっとずつ、ちょっとずつ
気付きながら、やめていく。
確認しなくなったらどうするの?
一生わからないじゃない?
不安じゃない、こわいじゃない!
誰か、わたしはここにいていいよ、って言って!
誰か、わたしのこと愛してるって
大切にしているって、
守ってやるって、
大丈夫だよって、
言ってよ!
そうやって叫びそうになったなら、
最高のチャンスだ。