深刻でいなければならなかった。
そばにいるよ、って言って欲しかったから。
深刻でいなければならなかった。
大丈夫?って言って欲しかったから。
深刻さが必要だった。
それを乗り越えられる自分はすばらしいと思いたかったから。
深刻さは不器用な自己表現だった。
現実を肥大化させて誇張でもしなければ
特別な人間ではいられないと思っていたから。
深刻さは、唯一わたしの
存在理由だった。
——
が!
もうそんなのはいらないやって思ったときがある。その時から、わたしは深刻さを背負う必要はなくなった。
そして今もなお、そうである。
そのときに、わたしの過去も深刻である必要は無くなったし、もちろん未来にもそんなのは描く必要もなくなった。
なぜなら、
特別な存在だと思われることも
すばらしい人間だと思われることも、
ほんとうは生きていくために必要ないものだから。
生きていくために最低限必要なものは、
命だけ。
基本的に、命だけだと思っている。
つまり、
生きているという事実そのものが
自分の存在の最大の価値。
今これを読んでいるあなたも、
読めるということは、
生きているということ。
生きているという時点で既に100点。
だから、穴埋めする必要はない。
そして、100点はゼロ。
100点満点ではなく、100点は100点。
ということは、、、
満点はないってこと(???)
もう、点数稼ぎのようなことも、必要ないし目指す満点もなくなる。
あとは、ただ自分で決めたらいいし、
そのままこのままで常に
その時の自分が満点である。
もし今何かに対して深刻になっている場合
それを楽しめるなら楽しんでしまう。
それを楽しめないなら、
深刻さなどなくても
自分でいてもいいと、思ってみよう。