もう5・6年くらいの付き合い?の
わたしの右腕しっしーこと宍戸弘美
しょっちゅう同じ場にいるのと
もはやファミリーみたいなものなので
今更っちゃ今更ですが、
この前サシ飲みというものに行ってきました。
これは、3年前くらい?
仕事かえりにご飯~とかあっても、わざわざサシ飲みしよう~って誘ってまではなく(笑
な、な、なにこの気持ち
初デートみたいやん
二人ともちょっとソワソワしながら(笑
ごはんを食べた時のこと。
話を結論から述べるとどうやら私たちは、
両方が両方の笑顔や喜びを心から望んでいる、
ということが発覚したのです。
・・・・・のろけか
と思うかもしれませんが、話はここからです。笑
もちろん、自分も大切だけど
わたしにとって彼女は特別な存在。
彼氏がUくんなら、彼女はしっしーなので
彼女の笑顔を見たいし、喜んでいて欲しいし
そのために気を使うことだって、ある
が、しかし
相手も自分に対して
全く同じようなことを思っていてくれたわけです。
じゃあさ・・・結論、こうだよね?
自分が笑顔になれることを
一番に優先したら、
自分が笑顔にしたいあの人も喜ぶってこと・・・
だよね。
自分が喜ぶって
一石二鳥だな!
自分もハッピーで、自分がハッピーになると幸せな気持ちになる大切なあの人だって、ハッピー!
え?すんごくシンプルじゃない?
なぁんだ、相手を幸せにしたり笑顔にしたりしなくても
自分が幸せでいることだけを真剣に考えてれば、笑顔にしたい人も喜んでくれる。
やっぱり、人に気を使ってる場合じゃないわ!
そんなことを思ったわけです。
逆に、自分を1番じゃなくしたら
自分が笑顔にしたいあの人は悲しむわけ。
ということはということは・・・。
本末転倒!
やっぱりそうか、と。
自分自身が笑顔でいれば
自分も、自分を笑顔にしたいと思っているあの人も
自分が笑顔にしたいと思っているあの人も!
みんな、ハッピーなのだと。
そんなことをなんか、リアルに感じて
二人して笑ってしまったのでした。
^^^^^^
自分を犠牲にすることは
パターン化されている場合がほとんどです。
しかし、自分を犠牲にする理由は恐れではなく愛です。
大元は必ず、誰かや何かに対する愛があり、
自分を犠牲にすればいい、という投げやりな感じではなく
なにか大切な目的があります。
それは、あの人を笑顔にすることとか
あの人を楽しませることとか
あの人に喜んでもらうためとか
そういうものからスタートしている。
でも、いつのまにか
自分を犠牲にすることを覚えると
目的を果たすことが、一方通行の愛になる。
表現を変えるならつまり
自己犠牲とは、
一方通行の愛
わたしは受け取らないのですが、
あなたにはたくさんあげたいのです
わたしはいいのですが、
あなたには・・・
一方通行の愛は
ほんとうに相手を喜ばすのでしょうか。
そんなことを再び強く感じ、
そして改めて思いました。
自分自身が喜んでいると
少なくとも自分の大切な周りの人は
おのずとハッピーになるってこと。
みーんながそれを意識したら
みんなが幸せなんだろうなと、思ったサシ飲みでした。