みなさんは、今の自分にはどんな疑いがあると思いますか?
愛されていないんじゃないか。
必要とされているのだろうか。
本当に大丈夫なのか。
病気になるんじゃないか。
お金がなくなるんじゃないか。
捨てられるんじゃないか。
裏切られるんじゃないか。
…
どんな疑いたちが、自分の中に存在しているでしょうか。
——–
わたしたちは様々な疑いを持ち、
それが不快な感情や不安を生み出して
緊張し、不自由になり
奪ったり過剰に守ろうとしたり、しますよね。
それに嫌気がさすたびに、
疑いは、邪魔者扱いされます。
そして、なんとか疑いをはらそうとして、
今度は解決策を探し、
試そうとする。
しかし、角度を変えてみませんか。
疑いほどのギフトはない、と。
——–
疑う、ということは
それが晴れる、という証拠だとしたら。
晴れる前提で、疑いが存在しているとしたら?
愛されているという事実を知る前提で、疑っているのだとしたら?
大丈夫が前提で、それを体感する前提で、疑いがあるのだとしたら?
すべて、疑いをひっくり返して、考えてみてほしいのです。
疑ってることがあるなら、
未来にはそれが晴れる世界が待っているので。
晴らす必要もなければ、
疑わないようにする必要もない。
なぁんだ、勘違いでした、ホッ
それが未来にあるからこその
今の疑いなのだとしたら。
愛されていないんじゃないかという疑いは
愛されているんだと知る前触れ。
必要とされているのだろうかという疑いは
必要とされていることを知る前触れ。
本当に大丈夫なのか、と疑えるのは
本当に大丈夫だったと知る未来があるから。
不安になれるということは、実は
それだけ余裕もあるということなんです。
疑えるということは、
無意識のすこーし深いところで
本当は違うことを、知っているということなんです。
明日から、
疑いを晴らそうとすることも
しなくてよくなるね(^_^)
そしたらもっと、
自然と息をするように
自然と信じる力も
ふわっと上昇するのです。