先ほどね。こんな記事を書いたのですが
ちょーっと誤解されやすい内容でもあるので
補足します。
まだ読んでいない人は、
ひとつ前から読んでね。
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わたしは、先ほどの記事で、
自分をニュートラルにするために
普段あり得ないと思っていることをあえてしてみる、
という方法を紹介しました。
ですが、ここである大切なポイントを
お伝えしたいと思います。
その前に、ニュートラルとは
非常に都合の良い言葉だと思って使っています。
都合がいい、というのは
解釈をゆるゆるにしておいて、かつ鮮明なイメージを
伝える必要がない、という言葉です。
(都合がいい=悪いではない)
だからこそ、ニュートラルって言葉が
逆に
「全てを救う救世主」のように聞こえる人がいるかもしれません。
ニュートラルになれば、全てが解決される。
ニュートラルになれば、苦しみから解放される。
わたしが苦しいのはニュートラルになれないからだ。
わたしがダメなのはニュートラルじゃないからだ。
だからニュートラルになりたい。
その方法を教えて欲しい…。
いいでしょうか。違います。
そこからの「スタート」であれば、
いくらニュートラルになったとしても、
それは「今の自分がダメ」だからニュートラルになって
なんとかしよう、ってのと同じなんです。
それじゃあ、本末転倒、というか
ニュートラルになっているようでなっていないですよね。
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わたしが、あえてあり得ないと思っていることをやることで
バランスを取るといいよ、って言ったのは、
何かをうまくいかせたりするためでも、
今の現状を必死に変えるためでも、
また、自分を卑下してありのままから目を背けるためでもなく。
「自分を愛している感覚を思い出す」ためだ、
とあえて言いたいのです。
自分の人生を、全信頼している感覚を思い出す。
すべてが愛おしいな、と思える状態を思い出す。
だって、そのほうがキモチイイから。
そのための方法の一つが、ニュートラルという方法なだけなんです。
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別の表現でいえば、
自分が「絶対にしてはいけない」と思っていることや価値観を手放す時期に
わたしたちの現実には問題が現れます。
ここらへんの仕組みをブログで説明するのってややこしいのですが、
簡単に言えば、
「手放された未来」が約束されているからこそ、
「問題」が見えるようになり(顕在化し)
その奥にある「我慢」に気付けるようになる。
まだ、そのタイミングじゃないときは
問題は起きないし、我慢にも気付きません。
だからこそ、
「あれ?なんか、わたしおかしいな?」と思った時や、
「あれ?なんか、あの人おかしいな?」と思った時は
自分の「我慢」を手放す時期がきたんだよーの
お知らせだって言うことなんですよね。
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わたしたちの問題やネガティブな感情の奥には
必ず「禁止」や「我慢」があります。
我慢に気付く、
あるいは我慢を生み出している
潜在的な「勘違い」に気付くことが出来るそのタイミングで
わたしたちの潜在意識は問題を現実に創りだすわけです。
これ、どういうことだと思いますか。
これ、潜在意識の「愛」なんですよ。
わたしが、常々
「目の前の問題はダミーだ。
だから、それを掘り掘りしたり、
ほじくり返したり、
問題を問題だとさわぐ必要はない」
と言っているのは、
潜在意識は用意されたタイミングでしか
わたしたちに問題を見つける視点を与えないから。
解決できるようになった時にしか、
問題には気付けないよう、仕組まれているんです。
すばらしい「愛」だと思いませんか。
すばらしい「思いやり」だと思いませんか。
これこそ、根っこにある自己愛なんじゃないだろうか、って
いつも思い出すたびに感動するんですよね。
わたしたちは、わたしたち(潜在意識)に
完全に完璧に愛されている。
わたしたちが何かを変えようとしたり
誰かを動かそうとしたり、
あるいは何かを手放せないでいる時でさえも、
わたしたちは、わたしたち(潜在意識)に
完全に完璧に愛されている。
だから、解決できないタイミングで
解決できない問題(我慢の投影)は
やってこないってことなんです。
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ですから、
何かしら自分の人生や生き方、暮らしかたに違和感を感じた時は、
その奥に何かしらの「勘違いを解くタイミング」が用意されたんだな、
ってことで、大いなる深い部分で安心してみたらいいんです。
どうやって安心するのですか?と聞くのではなく、
ただただ、安心してみようと思うだけでいいのです。
問題が教えてくれる「勘違い」に気付き、
それを解いていくと、心からの感謝に包まれます。
これまでも、ここからも
わたしの人生は完璧だったんだな、
と深いところで腑に落ちるのです。
なぁんだ、大丈夫だったんだ、って。
(完璧=失敗がないとか間違いがないとかって言う意味ではない)
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その感謝のチカラにはニュートラルにするチカラがあります。
だから、わたしは単純にバランスを取るために
ニュートラルになれと言っているわけでも、
幸せに生きるためにニュートラルが必要だと言いたいわけでもなく。
感謝する、というエネルギーを
自分の中で溢れさせることはこの上ない至福(自分への愛)なんだよ、
それを感じてみようよ、自分のために。
ってことが言いたいだけなんですよね。
—
ちょっと、ハードルの高い話かもしれません。
頭が「?」となる人は。
ゆっくり、何度も、何度も読んでみることをお勧めします。
そのうち、内側から何かが溢れてくると思いますから、
焦らず、じっくりと感じてみてください。
そして、大切なことをもう一度書いておきます。
頑張ってニュートラルになる必要はありません。
頑張ってバランスを取る必要はありません。
あるがままの自分ではない誰かになろうとしたり、
他人や世間に気に入られるための人物として
ニュートラルであろうとする必要はないのです。
あなたの現実が教えてくれる勘違いを解くことは、
今までしがみついてきた「絶対これが正しい」
というのを裏切ってみることになります。
だから、正反対のことをゲームとして
(本気で、じゃなくてあくまでもゲームとして)
やってみることで、
その勘違いが解かれていくのです。
自分が今まで「絶対こうであるべき」と
思っていたことが
自分の我慢を生み、劣等感を生み、
無価値感や孤独を生んでいたことがわかれば、
逆にそれらの「思い込み」が自分を守ってくれていたんだ、
ということもわかるでしょう。
勘違いや思い込みさえも、
わたしたちをないがしろにしたり、
失敗作にしたり、嫌な想いをさせるために存在していたのではないです。
「わたしたちを守るために、その思い込みはあったんだ」
と気付くことが出来れば、
やっぱり全てのことは自分に対して思いやりをもって
存在していたんだってことが分かります。
全てが、完璧な関係で存在していると見えたとき、
そして、勘違いが解かれるタイミングも、
そのために用意された全ての現実も
「ありがたい」
と思えたとき。
…たぶん、全ての謎が溶けるだろうし、
この記事の意味も、はっきり全身でわかるのだと思います。
感謝するべき、ではなく
感謝する、ということがとてつもなく気持ちのよいことなんだっていうわけで。
何も感謝できない自分がダメといいたいわけではないのです。
でも、
恐れより愛のほうが気持ちいいし、
我慢より解放や自由のほうが気持ちいい。
わたしがニュートラルになろうとしたり、
バランスを取ろうとしたりするのは
失敗したくないからとか
もっとうまくいかせたいからとか
足りなかったり何かが怖いからではなく。
「その方が気持ちいいから」
です。
ただ、それだけ。
自分の人生を愛しているだけなんっすよ。
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ってことで、テレビ見倒そうかと思います。
書いて欲しい記事のリクエストはコメントに書いてくだされ。