(2015年7月の過去記事 再更新)
~せねば、
~やらねば、
~であらねば、
それが強迫観念としてやってきたとき、どうする?
わたしなら
「ウケる!」で終わらせます。笑
ども、秦です。
—
最近は、ちょっとバタバタでブログの更新が
衰えてしまったのですが、
そういう「今までに決めていた事」
みたいなのを急にやめたりすると、
途端に
~せねば、
~やらねば、
~であらねば、
が強迫観念として襲ってくる事があります。
ただ、わたしは自分の中に
「ねば・べき」があってもいいと思っていて。
いわゆる心理学やスピリチュアルって
そういったものをなくしていこう、
なくしていこう、
より崇高な生き方をしよう、
みたいな風潮があるのですが、
「ねば・べき」は時として私たちに元気をくれることがあったりします。
もっと言えば、
人間は基本的に「ねば・べき」を
自分の中で勝手に決めて
そこから何をするか?
今日はどうするか?
こういう時はどうするか?
と判断を下していくのですが…。
こういう「ねば・べき」
というのが人の中に存在する事で
いざという時、
ピンチ!という時に
即座にどうすればいいのかの判断が下せるため、
わたしたちは「予備軍」としてそれらの価値観やルールを
持っていることになります。
別の表現で言えば、
野菜とか水とか米とかを、
万が一のために蓄えておく、みたいな。
万が一こうなったときに、わたしはこうする(べき)
万が一、こういう状況になったら
わたしはこうである(べき)
というように。
必ずしも「ねば・べき」が
間違っているわけでもなければ、
それを持っていてはいけないということでも、ありません。
もちろん、それをブロックだと言ってしまえば
それまでの話。
結局は
「いつ、どこで、どのように使うか」なので、
ねば・べきはナイフのようなものなのですね。
使い方を間違えれば、
ナイフだって、立派な凶器になる。
だから、
私の中で
~せねば、
~やらねば、
~であらねば、
「強迫観念」になっているとき。
その時だけ笑い飛ばすようにしています。
「ウケる!~せねば、って自分で自分を脅迫しているよ!」と。
—
心の勉強も、
潜在意識の勉強も、
それが自分を「脅かす」ものになれば
ナイフが凶器に変わったようなもの。
~せねば、
~やらねば、
~であらねば、
を持っていてはいけないのではないし、
心のブロックやコンプレックスを持っていてはいけない
そんなわけじゃない。
ただ、それらが自分にとって
自分の「あるがまま」を脅かすものであるならば、
いっそのこと、笑い飛ばしてしまった方がいいのです。
—
ここ数日は、めずらしく忙しかったり、
体調が優れなかったりで
それなりにだらだらと過ごしていたのですが、
わたしの「今・ここ」にある素直な気持ちは
「だらだら」したい。
でも、書かなきゃいけない気がする。
あれも、これもやらなきゃいけない気がする。
それに加えて、掃除も洗濯も家の掃除も
「しなきゃ、いけない気がする」
そして、自分を脅かすわけです。
自分の中にいる教育ママみたいな存在、
監視官みたいな、裁判官みたいな、
そんな存在が
自分の「あるがまま」を否定しながら
いかにもそれが正しいように
~せねば、
~やらねば、
~であらねば、
を主張してくる。
そう言うときはね、
本当に単純に
「わ、マジ、はじまったよ強迫観念!!ウケるわ~」
といって、サラッとそれさえも受け入れていくのです。
べつに抵抗もしない。
でも、心の声も否定しない。
わたしたちは、正しい人間として生きていくために
生まれて来たわけじゃないし、
何事にも動じない人間が最も素晴らしい、
だなんてわけでもない。
その時、その時に合わせたルールを
自分の中で持てたら、いいですよね。
そんなわけで、
私は完璧なわたしに成りたがっている
どこか焦った自分と会話しつつ
「ねぇねぇ、それ脅迫したって
誰かの為になる?」
と言って、
ぐーたらし続けたのでした。
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