今日は、「不幸」ばかり口にしていた女性が、
あることをきっかけに180度変わってしまった経験をご紹介したいと思います。
その女性Aさんは、
年がら年中、自分が不幸であると思っていました。
そして、そんなわけで自分磨きを絶やさなかったし、
本を読んではセミナーに行き、
美容室に行くことも怠らず、
美容にも健康にも気をつけていました。
しかし、Aさんにはなぜかいつも「自分は不幸な気がする」
という気がしてならなかったのです。
そこである時Aさんにこんなことを伝えました。
「あなたが不幸を見つける理由は、自分以外の誰のためですか?」
最初はこの質問をしたとき、
Aさんは全く意味がわからないようでした。
そこで質問を変えてみます。
「不幸を見つけ、味わい、それを自分の中に感じることで、
誰かのためになろうとしていませんか?」と・・・。
するとAさんはハッとしたように
「それはお母さんかもしれません」と言いました。
幼い頃の話を聞いていると、
Aさんの母親は、人の不幸をよく話す人だったらしいです。
食卓でも、隣人の不幸を話し、
ちょっと出かけると泣いている子どもや、
歩いている夫婦のことを見て
その人達の不幸を想定したそうです。
そこでAさんはやっと
「自分がずっと不幸を持ち続けてきたのは、
お母さんのためだったんだ」と気付きました。
なぜなら、Aさんのお母さんは、不幸について話しているとき、
すごくワクワクした様子で、かつとても楽しそうだったから、と言います。
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Aさんのお母さんに対して賛否両論あるかもしれません。
しかし、
きっとそのお母さんは、お母さんなりに
「不幸の話し」がしたかったわけではないのだと思います。
その証拠にAさんは引き続きこんな話をしてくれました。
『人の不幸は蜜の味、っていうけどね、
不幸だった時間を忘れてはいけないのよ、
と母はよく言っていました。
それで母は、何か不幸な話があるとすぐに報告し、
笑顔で「うちは平和でいいね」といっていました。
わたしは母の本当に言いたかったことは聞かず、
母が不幸な話ばかりするのを覚えていたようです。』
ここからAさんはやっと大切なことに気づきます。
それは、
今までの30数年間、ずっと自分は
「母の笑顔」のために、不幸でいたいと願ったのだ、と。
そして、ちょっとでも母の笑顔が恋しくなると、
それと同時に自分の人生にある不幸を探す。
まるでそれは、
母との愛おしい会話、彼女の母が伝えたかったことを
なんどもなんども思い出し噛みしめるように、
母のために、不幸ばかりを目にしていた、ということでした。
Aさんは、その時にはじめて、
自分を苦しめていた癖が、
実は悪いものではなかったんだ、と気づきます。
何をしても不幸な気がする。
どんなに綺麗でいようと、不幸な気がする。
どんなに仕事を頑張っても、不幸がやってくる気がする。
どんなにいい人になろうと、どんなに楽しいことをしようと、
必ずその後には不幸が待っている気がする。
その理由はすべて、
彼女の中にある母に対する愛情表現のひとつでもあったんですね。
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人はこのようにして、
自分の中にあるやめたくても
やめられない癖と出会うことがあります。
表面的にはネガティブな癖がほとんどです。
何をしても自分が嫌いだと思ってしまう。
何をしても人生は豊かではないと思ってしまう。
何をしても、その癖はやめられません。
しかし、
潜在意識に隠されたある秘密を知ることがとても大切です。
その秘密とは・・・・
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それは、
「自立」しようとするときに、自分が両親のためにしようとするすべてを嫌悪することがある、
ということです。
「自立」とは、自分の足で立つこと。
自分の意思で物事をその都度選択していくこと。
そこに幼い頃に覚えた習慣は必要ありません。
そこに、昔の罪悪感や、昔の果たせなかった後悔は必要なかったりします。
それをひきづっていると、どんどん自分らしく生きたい気持ちと、
昔の習慣をひきずる気持ちと、両方から引っ張られるようになって、
わけがわからなくなる。
「自分らしく立とう」と思っているときしかこれは起こりえません。
だから、とてもいい症状なんです。
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大切なのは、
両親との間に、そのような関係性は必要ないということ。
お父さんやお母さんが「あれ」で笑顔になったから、
喜んだから、楽しんでくれたから、褒めてくれたから・・・
その「あれ」をずっとひきづって生きるのはたいへんなんです。
Aさんはこのことに気づけたことで、
自分の潜在意識と会話し、不幸じゃなくてもいい、と
許すことができました。
そして、
「ダメな自分」
「できないことがある自分」
「歳をとっていって老いていく自分」
が相変わらずそこにいたとしても、
そんな自分を「幸せ」であることに、してみたそうです。
そこから昔の癖はだんだん出てこなくなりました。
何をしても、不幸につながるのではないか、と思っていたAさんは、
そこから何をしても幸せにつながってもいい、
と心から思えるようになったのです。