(2016年2月の過去記事です)
よく聞くフレーズにこんなのがあります。
『◎◎になれば、××ができる。でも…』
この時人は
◎◎も××もだいたい「勘違い」しています。
××が本当にやりたいことじゃない、または
◎◎に対する「勝手な妄想」が広がりすぎて手段を間違えている状態です。
「◎◎になれば、××ができる。だからわたしは今からこれをしよう!あれをしよう!」
そうやってエネルギーが湧いてくる◎◎と××なら、突き進めばいいって話で。
もし、躍動感もなければ「その先」もイメージで湧いてこないなら
どこかで勘違いしていたり、
勝手に諦めていたりしてる、ということ。
まずはストップして「どうしよう」「どうしたらいいかわからない」
という思考を
「待て待て待て待て」と思ってみてください。
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基本的に、
『どうしたらいいだろう』と頭抱えた時、
わたしは自分の
・目標や願望
・それを達成するのに必要だと思っている条件
このふたつを徹底的に疑ってみます。
ほんとうに、そうしたいの?それがほしいの?
ほんとうは、なにがしたい?なにがほしい?
さらに、
勝手に条件付けしてない?
他の方法があるかもしれないのに勝手に諦めていない?
何か見逃している可能性はない?
と、自分に問いかける。
あ、尋問や拷問じゃないですよ?笑
あくまでも「やさしーく」です。
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だから、ほんとうは「どうしたらいいですか」という質問って生まれないんです。
問いがあるのは、答えがすでに用意されているから。
潜在意識の中に答えがなければ、
問いが顕在化することはありません。
やりたいことがそもそもないならば、
「やりたいことはなんだろう?」と考える思考さえ生まれないのです。
だから、
問いが生まれたら、確実に答えが用意されたタイミングだ、と思えばいいわけです。
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でも、潜在意識から顕在意識へ情報を通すフィルターが汚れていたら
いくら答えがあったとしてもそれに気づけませんよね。
フィルターの汚れは、溜まった感情です。
溜まった感情はほとんどが、
自分の中にあるネバネバした「ルール」にまとわりついています。
まるで、「ハエ取り棒」みたいです(笑
そこにたくさん飛び交う感情がひっつく。ルール的に許されない感情はネバネバしたものにひっかかり、ひっついて取れなくなる。
フィルターそのものがネバネバしたハエ取り棒のような感じがしますね。
潜在しているルールや価値観(ねば・べき)が
「こたえ」に気づくのを邪魔する。
じゃあどうすれば?って、もうひたすらフィルターの掃除ですよね。
詰まりが悪いなら、自分の中にあるルールを再確認してみる。
そして、どうやって詰まりを抜くか。
『ルールをやぶる』
のです。
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ルールをやるぶと、そのルールにひっついた感情(今まで出てこなかった感情)が
ブンブン振り落とされて、アウトプットされます。
ルールをやぶると、今まで出てこれなかった答えや考え、アイデアに気づきます。
だから、フィルターの詰まりを掃除するためにできることは
「ルールや価値観をやぶって、全く違うことをしてみる」
という作業。
非常に勇気がいりますが、
喉元過ぎれば…なので、感情がたくさん出てきてもいずれは落ち着きます。
そうすると今までルールや価値観のフィルターを通れなかったことで気づけなかった
さまざまな「想い」や「自分」が顔を出す。
その一連の流れを人は「成長」と呼ぶのかもしれませんね。